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2007年3月20日 (火)

2つの碑文ー残波岬と櫻島

Dscn1230_320  沖縄の読谷村にある残波岬に、一部が壊れ、書かれてある文字も薄くなった記念碑がありました。1990年にこの地を襲った台風21号の猛威を後世に残そうと建てられたものです。記念碑には次のように書かれていました。
  台風(ウーカジ)の猛威
遠く、いにしえより母なる海は人々に恵みと幸をもたらし 時に大地を震わし 人々に襲いかかる、それが台風である。1990年10月6日 午後8時40分台風21号のエネルギーは大波となって残波岬一帯(ユカから南にかけて)をのみこんだ。その時94t(A) 85t(B) 50t(C)の大岩が動かされた
。「自然をあなどるな!!」
  
1994年8月26日 読谷村
 The Rage of a "Super Typhoon"

 

 「自然をあなどるな!!」 この碑文を読んで、僕の頭に浮かんだひとつの記念碑があります。1914年(大正3年)の桜島噴火の際、幾日も続く噴火の前兆に住民の不安が広がり、地元の行政関係者が鹿児島測候所(現在の鹿児島地方気象台)に問い合わせたところ、地震については震源が吉野付近(鹿児島市北部)であり、白煙については単なる雲であるとし、桜島には異変がなく避難の必要はないとの回答があった為、住民の避難が遅れ、噴火の際に多大の犠牲者が出る事態になってしまいました。
この教訓から、鹿児島市立東桜島小学校にある桜島爆発記念碑には「住民は理論を信頼せず異変を見つけたら未然に避難の用意をすることが肝要である」との次のような碑文が残されることとなり、無念の想いを込めた「科学不信の碑」とも呼ばれています。

   櫻島爆發記念碑
大正三年一月十二日桜島ノ爆發ハ安永八年以來ノ大惨禍ニシテ全島猛火ニ包マレ火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メ八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ

其爆發ノ数日前ヨリ地震頻發シ嶽上ハ多少崩壊ヲ認メラレ海岸ニハ熱湯湧沸シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等刻々容易ナラサル現象ナリシヲ以テ村長ハ數回測候所ニ判定ヲ求メシモ櫻島ニハ噴火ナシト答フ

故ニ村長ハ残留ノ住民ニ狼狽シテ避難スルニ及ハスト論達せシカ間モナク大爆發シテ測候所ヲ
信頼セシ知識階級ノ人却テ災ニ投シ漂流中山下収入役大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ
最後ヲ遂ケルニ至レリ

本島ノ爆發ハ古來歴史ニ照ラシ後日復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ
住民ハ理論ニ信頼セス異変ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ何時変災ニ遭フモ路頭ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス
茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス
       大正十三年一月 東桜島村

 
 台風と火山の爆発、被害の状況や、建設の主旨は違っても、そのどちらも、歴史の事実を書いた単なる記念碑ではなく、2つの記念碑の碑文は、我々に多くの示唆を与えていると思います。
必ず起こる言われる大震災や、地球温暖化の影響で、超大型台風の発生や、大豪雨なども危惧されています。自然の猛威を素直に恐れ、それに対処する科学技術の向上と信頼が求められます。

Taihuu_320

                        (残波岬を襲った台風の猛威を記した記念碑、台風によって信じられないような大岩が動き、その所在地(A,B,C)を示す地図が書かれていたようですが、消えて読み取れませんでした。)

Kinennhi_320

(鹿児島市立東桜島小学校に残る桜島爆発記念碑、住民の無念さが伝わる「科学不信の碑」ともいわれる)

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