« ノロウィルスー殺菌消毒 | トップページ | ゆず湯とかぼちゃー冬至 »

2006年12月21日 (木)

一匡邑のことー北軽井沢

Itukyo2_320  このブログに、北軽井沢の「一匡邑」(いっきょうむら)を検索して訪ねてくれる方が、多くいます。前に、草軽電鉄の二度上峠の事を書いたとき、一匡邑に触れたからでしょう。
大正12年に東京大学関係者10数人によって設立されたこの別荘地は、その数年後に出来た法政大学村とともに、まさに北軽井沢の別荘の草分け的存在です。法政大学村が、敷地分けした数百軒近い別荘が有るのに較べ、この一匡邑は、設立当初から現在に至るまで、Itukyo1_320敷地全体が共有で登記されており、建物数もそれほど増えていません。わかり易く云えば、大きなキャンプ場の中に、テントならぬ小屋が立っているという感じです。
ここに友人の小屋が有ったので、昭和30年代の初め頃から、度々訪ねて遊んでいました。草軽電鉄の北軽井沢駅で降りて、地蔵川沿いに立つ、その昔この地に流れついて、川から引き上げられて奉られたというお地蔵様に挨拶しながら、未舗装の狭い道を歩るいてゆきます。この一匡邑までの道のりは、車の行き交う現在の道からは想像できない、新緑と紅葉のきれいな静かな散歩道でした。人家は無く、ミンク養殖場などがありました。塀も門も無い邑(村)の中に入ると、10数軒の小さな別荘が、思い思いの場所に建ち、中心を流れる細い川が、炊事や洗面、洗濯の大事な水源でした。
ここで友人や、他の別荘の人達、管理人の牧野さん一家と過ごした時間は、懐かしい思い出です。
書きたい事は、多いのですが、また少しづつ書くとして、今日は設立当初の姿のままで残っていた別荘の写真です。ほとんどの別荘が建替えられてしまった中で、この建物だけはそのまま使用されていましたが、老朽化のため、残念ながら数年前に撤去、新築されてしまいました。
(敷地内の別荘は、以前はこの写真の建物とほとんど変わらなかった)

|

« ノロウィルスー殺菌消毒 | トップページ | ゆず湯とかぼちゃー冬至 »

コメント

昨日、一匡邑から奈良に戻りました。
凡そ8時間弱のドライブでした。
東京在住なら、混雑を避ければもっと楽に行き来できるんですが。

投稿: 井上 | 2011年8月28日 (日) 19時26分

このブログはどなたが書かれているのですか?
住人の方ではないですね。女性のようですね。私も既に60を遠に越していますが、そこそこご年配とお見受けします。お返事をお待ちしています。

投稿: 井上 | 2011年8月28日 (日) 21時12分

>井上さま
いつも拙いブログを読んでいただきありがとうございます。プロフィールに有りますように男性です。
昭和30年代の初め頃(10代後半)から、H.Oさん宅の奥にあった、現在建替えられてKさんの所有となっている、今は亡き米田夫妻の山荘にたびたび遊びに行っていた縁で、一匡邑に愛着が深い者です。元管理人のMさんは、少しは覚えておられると思います。実現できず、幻の設計図となりましたが、米田山荘建替えの設計も担当しました。Kさんの新山荘が、邑の初期の建物の面影を残している事が嬉しかったです。
一匡邑の事をブログに書かれているYさまの「toty日記」も読ませていただいております。
邑を基地に、草軽電鉄に乗って周りの山に登ったり、皆で花火をしたり、共同浴場に入ったり、邑のよき時代の楽しい遊びが懐かしく思い出されます。東京オリンピックの開会式は、管理人Mさん宅のコタツに入って見ていた覚えがあります。
どうぞ、お元気でお過ごしください。

投稿: Souroku | 2011年8月29日 (月) 15時16分

こんばんは、こんな時間に失礼致します。
10月29日に北軽井沢在住の祖母が亡くなりまして、私も大好きな場所でしたので思いを馳せながら北軽関連のHP等を色々と検索してこちらに行き着きました。ブログにあります一匡邑管理人の牧野の名前が載っていたので驚きました。私は牧野の孫にあたる者です、生前はお世話になりました。亡き祖父母に代わりご挨拶させていただきます。

投稿: ななまる | 2014年11月 3日 (月) 03時10分

>ななまるさま
拙いブログをお訪ね頂きありがとうございます。
個人的なことを書くことになりますので、不都合がありましたら削除いたしますので、コメントいただければ幸いです。
牧野ご夫妻には、管理人の時、民宿の時と大変お世話になりました。一匡邑では、住民ではない私をいつも優しく迎えていただきました。ご主人とは亡くなる少し前、民宿宿泊の朝、一緒にきのこ狩りに連れて行ってもらいましたが、それが最後となりました。奥様とは7年ほど前にお訪ねした際、亡くなられた息子さんと、お嬢さんの事や、一匡邑でのいろいろと懐かしい昔話をさせていただきました。お嬢さん(ことによると母上?)のランドセルを背負って邑の前の道を歩いていた姿を覚えています。高校でバレーボールをされていましたね。岩波書店会長だった小林勇さんの著書「山中独善」に一匡邑のクルミの木と奥様の話が書かれていて、本をお送りしたこともありました。
奥様がお亡くなりになられたとのお知らせに驚いています。一匡邑で過ごした時代の方々が、だんだん少なくなってゆく事に、時の移ろいを感じています。
ご冥福をお祈りいたします。

投稿: Souroku | 2014年11月 3日 (月) 23時55分

今晩は、ななまるでございます。
早速のお返事有難うございます。Souroku様の仰るとおり私は牧野の娘の子供になります。その節は母や祖父母共々大変お世話になりました、この場をお借りして御礼申し上げます。Souroku様の思い出の中に私が存在するはずもありませんが、家族の事を良い思い出として語っていただけると私まで嬉しい気分になってしまいます。祖父母も草葉の陰で喜んでいる事と思います。本格的な寒さに向かう時節、風邪など召されませぬようご自愛ください。

投稿: ななまる | 2014年11月 4日 (火) 21時08分

突然のメールで失礼します。
北軽井沢の一匡邑を検索してましたが、わたくしの母の
叔父である黒須巳の吉博士が当初別荘を持っていて、邑の
村長であった事を知りました。まだその邑に行ったことないので、興味深いです。もう少し詳しいことご存じでしょうか?

投稿: 高橋 日出雄 | 2016年4月30日 (土) 22時59分

>高橋 日出雄さま
拙いブログをお読みいただきありがとうございます。
一匡邑に関しては、その成り立ちなど、かなり多くの
情報がネットで得られますね。しかし、創立メンバーのお子様たちも皆ご高齢となり、管理人を長く務められた牧野さん御夫妻も亡くなられ、邑を訪ねても、往時のことはなかなか知る事ができなくなりました。確か黒須先生は1960年代には、まだ邑に来られていて、お会いしたことがあります。
岩波書店会長だった小林勇氏が著書「山中独善」の7月28日の日記にも書かれておられます。
邑の別荘配置などは、邑の創設者メンバーで初代邑長であった大村正夫氏の御子息である春男氏が描かれたスケッチがルヴァン美術館のHPにありますので参考になると思います。ルヴァン美術館では邑の設計者である西村伊作氏の企画展が今年の6月から開催されるので、そこでも参考になる情報が得られるのではないかと思います。
http://www.levent.or.jp/exhibition0203.html
また、ブログでは、「toty日記」を書かれているFさんの一匡邑の記事から、良き時代の邑の様子を知ることができます。http://blog.goo.ne.jp/toty_2005
邑の中を流れる川が、住民の水道替わりだったことなど、今からはとても想像できないでしょう。

投稿: Souroku | 2016年5月 1日 (日) 16時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/170544/13152162

この記事へのトラックバック一覧です: 一匡邑のことー北軽井沢:

« ノロウィルスー殺菌消毒 | トップページ | ゆず湯とかぼちゃー冬至 »