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2006年11月29日 (水)

ハワイ海洋深層水

 TBSラジオの月曜日の朝の番組に、「小松昌美のハワイにおいでよ」という番組があります。ハワイの楽しい話題や、珍しい情報が聞けるので、毎週楽しみに聞いています。今週の月曜日のリポートは、今、ハワイからの輸出品は何が多いかと言う事でした。そう、輸出金額です。僕はパイナップルや、マカデミア・ナッツなどのフルーツとか、チョコレートだろうと考えました。それが違うのです。なんと「水」だというのです。ただの水ではなく、海洋深層水です。チョコレートとか、フルーツを押えて、それも2桁違いで、年間300億近い輸出高だそうです。それもほとんど日本への輸出です。日本にだって、室戸岬沖の海洋深層水などがあるのに、何故わざわざハワイからと思ったのですが、取水する海の深さと、生成された年月の違いがあるようです。「室戸岬は約220メートル沖で一気に水深1,000メートルまで海底が落ち込んでおり、その壁にぶつかった深層水が湧昇流(湧き上がり)となっています。そのため水深約320メートルのところで取水できる世界でも有数の深層水取水スポットといわれています。」(アクアマートのHPから引用)
日本の海洋深層水も凄いのです。しかしハワイのほうは、ハワイ島カイルア・コナの沖、600~1000mという深さから汲みあげた水だそうです。「 旅の始まりは、グリーンランド沖とウェッデル海。グリーンランド沖で冷やされた表層水が凍り始めた。しかし、氷点の違いから凍ったのは純水のみだった。取り残されたミネラルによって、比重が大きくなった海水は「プルーム」と呼ばれる直径数百メートルの柱のような流れ(下降流)となって海底に向け一気に沈み込み深層水となる。(深さ4000m)この深層水は北米大陸の大陸棚に沿って大西洋を南下し、同様にウェッデル海で沈み込んだ深層水と合流する。そして多くはオーストラリアやニュージーランド沖を経て、一気に北部太平洋で浮上し、表層水へと変わる。はるかグリーンランドを出発してから2000年もの旅を続けてきた深層水は、再び長い年月をかけグリーンランドへと帰っていく。 日本で取れる海洋深層水は、10~50年の周期で循環。短い周期のために大気や細菌に汚染される可能性が高い。ハワイ海洋深層水は、4000年もの周期で循環。重く、深く、ゆっくりと地球を這ってきたため、汚染されておらず、ミネラルも多く、冷たい水である。」(ハワイMANAのHPから引用)
どうも、日本人はこういう宣伝に弱いところがあり、ありがたい2000年前の水を求めて、遥かハワイから高い値段で購入しているようです。海洋深層水以外にも、地下水の輸出も加わって、それらが、ここ数年で、をハワイ輸出商品の売上トップの座に座らせました。
かくいう、僕も毎日5kmの速歩ウォーキングの中間地点にある、アクアマートという会社の水を、トレーニングのひとつとして背中のザックに入れた5リットルのボトルに入れ、帰路の2.5kmを担いで帰っています。5リットルで100円ですが、海洋深層ミネラルを加えた水が200円、ミネラルを3倍に増量した水が300円です。いつもは100円のものですが、時々200円のを買ったりします。お茶やコーヒーに沸かしても、格別味が良くなる実感はありませんが、なんとなく海洋深層ミネラルに引かれるからでしょうか。ちなみに、このアクアマートー社の海洋深層水ミネラルは、室戸岬産です。
僕は、近い将来、中国が砂漠化の拡大と、公害による川の水の汚染被害が広がり、飲料水が大幅に不足するのではと考えています。ミネラルたっぷりのペットボトルウォーターの輸入などとは、全く次元の異なる深刻な水不足です。日本海の港付近に立ち並んだ大型水タンクから、タンカーならぬ水輸送船が中国の沿岸に向けて、ピストン航海する光景が見られるかもしれません。水が貴重な輸出品となります。この場合、両国の距離が近いことが幸いします。水資源には恵まれている北朝鮮もありますが、彼の国は水を輸出できるほどの、施設や社会基盤が出来るには時間がかかるでしょう。その為にも、日本は河川流域の森林をさらに保護育成し、水輸出国としての基盤作りをしっかりと造りましょう。資源無き国に、水資源有りと誇れる緑多き美しい国にしたいものです。

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2006年11月28日 (火)

トップダウンではなく、独裁

 東京都の石原慎太郎知事が、氏の四男で、画家の石原延啓(のぶひろ)氏がかかわっている都の現代芸術振興事業「トーキョーワンダーサイト」の予算が、他の福祉、文化、芸術、図書館関連の予算が軒並み大幅減額されているのに、この4年間で8倍以上に膨れ上がっていることが判明し、共産党都議団から「都政の私物化」として追求されています。11月25日の毎日新聞夕刊でも大きく取り上げられました。この件、芸術関係でもあり、ワンダーサイトの設計や、建築家なる人物も登場してきて、多少関心があるので書いてみました。
 ワンダーサイトは、新進・若手芸術家の育成を図る目的で、石原都政下の平成14年に文京区本郷の御茶ノ水庁舎を改修して始まり、現在は、渋谷や青山にも施設が増設されています。この問題を追及された石原都知事は次のように語っています。(ごちゃごちゃと、長たらしく言い訳していますので、主要なところのみ抜粋)
 「共産党は何を思っているか知らないけど、あれはまさにトップダウンです。トップダウンですよ、私が考えついたんだからね。大したお金はかからないし、廃物利用でね、お茶の水のあそこの建物(トーキョーワンダーサイト)だってね、それから渋谷のあそこ(トーキョーワンダーサイト2(渋谷))だって、ほとんど使ったものを活用した訳ですからね。
これは私の発案で、1人だけじゃないけど、いろんな意見聞いてやろうということでやった訳で、お役人からそういうアイディアは絶対出てこないよ。だから私がやったんだ。小さなプロジェクトかもしれないけど。
もちろん、だけどね、都の中にいろんな発案ありますよ。部長、局長になっちゃうと頭がぼけてくるからね、かたくなってろくな案が出てこないけどね、要するに、アイディア賞みたいなのは毎年出してるし、東京スピリット賞とか、やっぱり下の連中の発案というのはものすごくおもしろいものがあるしね、物によったらノーベル賞クラスのものだってありますよ。」

石原都知事は、自分に批判的な意見や報道には、聞く耳もたずで徹底的に反論したり、時には恫喝的な言動をとりますが、この件に関しての反論は、的を得ていないし間違っています。はぐらかしています。
指摘、追及されているのは、現代芸術振興に前向きに取り組んだ事ではなく、税金を使用して運営している東京都の事業に、自分の息子を参加させて、明かに優遇し、なおかつその息子の友人夫婦を事業の役職につけるなどした事を問題視されているのです。また、その事業のみに、破格の優遇予算をつけている事なのです。息子の友人夫婦というのが、建築家と称する今村有策で、都知事により都参与選任とワンダーサイト館長に任命され、今村氏の妻である家村佳代子氏も、同じくワンダーサイト副館長、 青山館長に採用しています。今村氏は周囲に対し、都知事や延啓氏との親密な関係だけでなく、都知事の長男である石原伸晃幹事長代理とも家族ぐるみの付き合いなどと話しているとの事です。
トップダウンも良いでしょうが、それが東京都交響楽団に資金援助とか、都立図書館の司書を増員などであればこんな批判文は書きませんが、自分の息子の援助となると、一言いいたくなるのです。これはトップダウンと言わず、独裁と言います。それと、気に入らないのは今村有策氏、自分はともかく、同じ事業のふたつの重要ポストを妻にもと、強請るなど、建築家の風上に置けぬ男です。
石原都知事は、来春の都知事選挙に3選出馬の意向との事ですが、都政の私物化、税金豪遊、執務時間の曖昧さ、無責任発言、大胆?発言、恫喝的言動などこのところ批判が吹きだしてきた感があります。年齢的(74歳)にも、3選されて退職するつもりでしょうが、これが最後とばかり、その専横、独裁ぶりの拡大が目にみえるようです。

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2006年11月27日 (月)

すごいチョロQ

Tyoroq_320  赤外線コントロールチョロQ、キューステアです。ご存知チョロQに、よくぞこれだけのメカを搭載できたと、感動さえ覚えます。ボタン電池(LR44)2個を縦方向に収納するところなど、チョロQ技術陣はすごい。これまた、縦35mm、横50mm、厚13mmとシンプルデザインの、超小型のコントローラで、前進、後退、そしてステアリングが左右に切れます。2段階のスピード切り換えも可能です。ともかくこの超小型のコントローラーが良い。これがラジコン自動車などの大きさのコントローラーでは、ちっとも面白くありません。赤外線バンド切り換えが4つあり、4台まで同時にリモコン操作が可能です。悩む事無く、4セット注文してしまいました。テーブルの上で遊んでみると、右に左に滑らかに動き回ります。正月に爺と遊んでやろうとやってくる、チビスケ達とレースをするべく、サーキットの準備をしようと考えています。
(株)タカラトミーさん、この大きさで、ヘリコプターか、または別の飛行体を作ってくれませんか。規定円内への着陸ゲームでもやってみたい。
(写真はキューステア4セットとパイロン、手前の新幹線はレール巾、6.5mm、モーター、電池内蔵で動きます。)

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2006年11月26日 (日)

さきたま風土記の丘へ

Dscn0904_320  昨日は、友人のアトリエの新築披露パーティに出席の為、行田市まで行きました。友人宅は国宝の金錯銘鉄剣の展示で有名な、「さきたま史跡の博物館」に近いので、久しぶりにこの博物館と古墳群を見たいと立ち寄ってきました。前回見学したのは、鉄剣に金の象嵌文字が発見されて国宝に指定された時だったので、25年以上も前だったと思います。世紀の大発見と報道されて、多くの見学者で賑わっていた記憶があります。
現在は、9基の古墳と周辺が「さきたま風土記の丘」としてきれいに整備さDscn0905_320れ、見違えるようになっていました。まず、見学者も少ない、静かな博物館で金錯銘鉄剣を見ました。最初に見た時と同じように、温湿度の調整された保管ケースの中で保存されていて、金象嵌の文字もはっきりと読み取れました。この鉄剣に刻まれた115文字の漢字の銘文は、我が国の古代国家の成立を解く上で、たいへん貴重な発見と言われていますが、その文の解釈にはまだ解明できない謎も多く、これからも他の発掘品との関連などから、新しい発見があるだろうと言われています。
次に、将軍山古墳の展示室で横穴式石室を見てから、稲荷山の上に登り整備が進んでいる古墳群を見渡した後、友人宅に向いました。途中にこの付近を世界遺産に登録したいとの大きな横断幕が目に入り、ここもかと、ちょっと驚きました。このところ、山行きの帰りなどに山梨の湯之奥金山、長野の善光寺、群馬の富岡製糸場など世界遺産に登録を希望する場所が目に付いていたからです。世界遺産の前に、日本遺産指定制度などがあれば、良いなと思うのですが。
Nv26_001_320 (写真上は、さきたま史跡の博物館前から見た瓦塚古墳)
 (写真中は、左から丸墓山古墳、稲荷山古墳、将軍山古墳など、広い風土記の丘展望)
 (写真下は、国宝 金錯銘鉄剣)

Meinv21_800 (クリックすると拡大します)

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2006年11月24日 (金)

懐かしき仁丹ビル

Dscn0897_320  一昨日、仕事で渋谷に行き、宮益坂を登っていったら、坂上の交差点角に新しいビルを建設中でした。(写真左)
今年の夏迄、ここに建っていた旧仁丹ビルの跡地です。
仁丹ビルは、1963年(昭和38年)に、森下仁丹の東京支社新社屋として竣工され地上10階、地下1階の規模でした。昔から広告宣伝に、力を入れてきた会社ですので、竣工当初から、ビル全体が広告塔として使われ、夜は白いイルミネーションに輝き、山手線からも良く見えたことが、懐かしく思い出されます。
ビル自体は、2003年には、森下仁丹から売却されていましたので、新築されるビルは仁丹とは関係無い様ですが、渋谷名物でもあった広告搭だったので、何らかの形で、新ビルの屋上壁面に再現すると良いのですが。仁丹といえば、先日、池袋にある全国伝統的工芸センターを訪ねました。そこで東京の伝統工芸の若い職人さん達の作品を見ていると、銀細工のコーナーに「仁丹入れ」と懐かしい名称の書かれた、小さな懐中薬入れがありました。勿論販売品でした。でも仁丹を入れる人は少ないでしょう。ちなみに、80年近い歴史を持つ銀粒の仁丹は現在も、ちゃんと商品として販売されています。
P_ads03_3 (左の写真は、渋谷の夜空に輝いていた頃の仁丹ビル。森下仁丹のHPから、ダウンロードして、使わせて頂きました。)

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2006年11月22日 (水)

2佐より中佐、2尉より中尉と呼ばれたい

教育基本法改正が成立確実となり、防衛庁の省への昇格も時間の問題となった。防衛省となると、現防衛庁長官は防衛大臣となる。権限も増えるが、なにより防衛大臣という呼称は、長官とは重みが違う。
防衛省になっても、自衛隊の名称は変わらないが、憲法改正も視野に入ってきた状況の中で、まず防衛省になったら、前から密かに懸案となっていて、自民党でも内部検討されていた隊員の階級呼称の問題が、少し前進するのではと言われ始めている。
憲法9条の改正後に、自衛隊の名称を現状のままか、または防衛隊とするか、日本軍隊とするかまだ不明であるが、隊員の階級呼称の変更は、論議されるとみられている。それを、少し前倒しにして、防衛省昇格の時点で世間の認識を得ておこうという考えである。特に幹部自衛官(旧日本軍の士官)にその意識が高いという。
陸上自衛隊に限れば、現在の1等陸佐、2等陸佐、3等陸佐をそれぞれ陸自大佐、中佐、小佐に、1等陸尉、2等陸尉、3等陸尉をそれぞれ陸自大尉、中尉、少尉とし、まず幹部自衛官の変更を行う。
現在自衛隊内での階級呼称は、安倍2佐、塩崎3尉などと呼んでいるのを安倍中佐、塩崎少尉と呼んだほうが、国民にも認識され易いのではとの事。
他の階級は、旧日本軍の階級呼称にすると、軍曹、2等兵など、軍や兵などの呼称が入り問題が多いのでもう少し先送りする。旧日本軍で下士官にあたるこの階級には、現状の呼称の方が良いとする意見も出ている。また、2等兵より、現状の2等陸士を望む声もきかれるという。
ただ、英語名は現状のままで良いのだし、拒否感もある旧日本軍の階級呼称にする必要が無いとする説もある。また。幹部自衛官ではなく、将校と呼ばれたいという願望には、将校の意味を知らない自衛官もいるので、もはや死語だという反対意見もある。いや、思いきってこの際、全て旧日本軍の呼称にするのが良いという、乱暴な意見も有る。
この、問題は今後少しづつ、マスコミに登場してくると思われる。

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柳瀬川の紅葉その1

Dscn0889_320 今日の柳瀬川土手の桜の木の紅葉です。柳瀬川駅近くは、ほとんど毛虫に食われてしまい丸坊主になった木ばかりですが、ふれあい橋付近は、紅葉がきれいです。新座シネプレックスの帰りに写しました。そう、今日も「男はつらいよ」2本を見てきました。第9作「柴又慕情」マドンナ役は吉永小百合と第11作「寅次郎忘れな草」マドンナ役は浅丘ルリ子です。若い頃の両女優の姿を、大スクリーンで見る事は、多分今後無いでしょう。楽しめました。後2作が上映されます。

Dscn0893_320

こちらは、栃の実を拾ったマロニエ通りの紅葉です。ニュータウン内の紅葉は、これから10日間位が見頃でしょう。
2枚の写真、とくに上の土手道の写真などを見ると、すごい田舎に住んでいると思われてしまいそうですが、柳瀬川駅は東京の繁華街、池袋から電車で23分の距離ですよ。でも自然の残る良い所です。
先日、川で鵜(ウ)が、水中に何度も潜っては餌を探している光景に出会いました。写真が撮れないほど、すばやい動きを繰り返したていました。次のシャッターチャンスを狙っています。

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2006年11月20日 (月)

大地震の時、超高層ビル、マンションは?

今日(20日)の毎日新聞夕刊に、「長周期地震動で重大損傷も」というショキングな見出しで、大地震で発生する長周期地震動により、超高層ビルが大きく損傷する可能性があることが日本の土木学会、建築学会の共同研究で分かったと報道されました。いまさらと言う感もしますが、研究データーの幅広い収集と、蓄積のもとに、然るべき研究機関が論文にしないと認められ難いという、学問的土壌の強い分野ですからやむを得ないでしょう。(同じような例は、地震の前兆現象観測や予知分野では一層顕著です。)
長周期地震動とは、ガタガタと揺れる通常の地震動ではなく、数秒から長いもので十数秒の周期でゆっくりと振動する揺れをさします。
勿論、以前から起きていた現象ですが、実際の被害が報道されるようになったのは割と最近です。北海道で石油タンクの液面と蓋の揺れから発火して火災が発生し長時間燃え続けた例や、遠隔地の地震で東京の超高層ビルのエレベーターが損傷した例などが良く知られています。
近年、次々と建設、販売される超高層マンションにも、この長周期地震動の構造的解析は加えられて設計されているのですが、発生した地震との距離や、震源の深さ、大きさなどとの関連と地殻の構造、伝播などからの影響がまだ完全に解明されていない未知の分野といえるでしょう。これから発生するであろう巨大地震からの生のデーターの蓄積が、これからの構造法規や構造設計に生かされてゆく分野です。今日の新聞記事は、長周期地震動によるエネルギーが、超高層建物の構造に重大な損傷を与える恐れがある、またそのエネルギーは現在想定しているものより巨大な応力になると警告しています
超高層マンションを購入する場合は、まだ実験的要素のある住居に居住するのだという心構えは必要でしょう。
鉄骨などの破断や、基礎の損壊などについては、あまりにも問題が大きいので、ここでは書きませんが、もし大地震が発生した場合、身近な被害としてエレベーターのレールの曲りや損傷による長期間の使用停止や、給水、排水などの設備配管の損傷は、超高層マンションにとって居住を続ける事が不可能な事態となり得ます。また、上層階の大きな横揺れの恐怖は、かなりの精神的ダメージを受けると思います。以前、日本海中部地震による揺れを、新宿の超高層ビルの43階で体験しましたが、青函連絡船で味わった水平線がせり上がり、また見えなくなるゆっくりとした横揺れと同じ状態でした。振幅がもっと大きくなるかも知れないという恐怖感のなか、窓の外に見える地平線が、長い時間、音もなく上下に動き続けました。
超高層マンションの販売宣伝は、眺望や夜景の美しさなどを強調しがちですが、低層建築にない危険性も含んでいる事の説明責任も必要です。
今日の新聞報道は、ブーム状態の超高層マンション販売に警鐘を鳴らすものでしょう。

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2006年11月19日 (日)

寒い1日でした

Dscn0888_320 21時20分、TVでは激闘の末、日本男子バレーチームがプエルトリコを破った興奮の埼玉アリーナの様子を、実況中です。現在の外気温7度。冷たい雨の降る1日でした。今日は1歩も外出せず、折り紙でこんなものを作ってみました。トナカイのそりに乗るサンタクロース。トナカイは、適当な色の折り紙がなかったので、事務用封筒を、折り紙大に切って使いました。後1ヶ月でクリスマス、今年も終わりか、などと思いながら綿の雪を敷き詰めました。写真に撮ってみたら、なかなか良い出来映えです。2006年も残り50日です。皆さん、風邪など引かぬようがんばりましょう。風邪といえば、インフルエンザの予防接種を受けようかどうか迷っています。それと沖縄県知事選挙の開票が気になります。

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2006年11月18日 (土)

今日の収穫ー超ミニ農園

Dscn0887_320  60cm角の我が超ミニ農園の、今日の収穫です。まだ5株ほど残っています。9月にカブを植えたのは大成功でした。1mmにも満たない小さな種からこんな大きな野菜になるのが感動的です。カブの後になにか作れるものはないかと、教科書「野菜づくり」を読みましたが、11月以降に撒く種はない様です。本家農園も、大根の収穫が終わったら冬休みになるようですので、我が農園も春を待つ事にします。ブログねたがなくなるのは、ちょっと寂しいですが。

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2006年11月17日 (金)

「男はつらいよ」上映中

Nv17_001_320  9月18日と10月23日に書いた、「男はつらいよ」の人気投票による上映がシネプレックス新座にて行なわれています。
1作品が1日一回だけの上映です・
  11/11(土)~11/17(金)
    「男はつらいよ 夕焼け小焼け」
    「男はつらいよ 知床慕情」
  11/18(土)~11/24(金)
     「男はつらいよ 柴又慕情」
     「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」
     11/25(土)~11/30(木)
          「男はつらいよ」
          「続 男はつらいよ」

昨日は、マドンナ役の太地喜和子が見たくて、第17作「夕焼け小焼け」を、今日は見逃していた、マドンナ役が竹下景子の、第38作「知床慕情」を見てきました。快適な館内で、大スクリーンで見られる事と、入場料が500円と安いのも魅力です。男がつらいよのシリーズが始まった頃の映画館は、いつも満員で館内は笑い声に包まれ、時には掛け声や拍手が出たりしました。35年も前のことですが。
僕はこんどの人気投票による上映は、500円という入場料の安さもあって、かなり入場者があるかと思ったのですが、昨日は13人、今日は10人と寂しい人数でした。広い館内に本当にパラパラと座った観客は上映中も静かで、笑い声を上げるのもはばかれるほどでした。かっての館内に満ちた観客同士の連帯感は、この人数ではとても望めません。シネプレックス新座がオープン2周年記念として企画したものですが、この入りでは、今後同じような企画を避けてしまわないかと心配しています。
先日ラジオ放送で、どこの地方か聞き漏らしましたが、地元で最後まで残っていた映画館主がこんな事を言っていました。「せめて1上映に20人入ってくれたら、なんとか経費が出るのだが、そこまでいかず、土曜、日曜の観客でなんとか維持しているが、いつまでがんばれるか」
シネマコンプレックス(多スクリーン上映方式の映画館)との競合に、押されている既存館も多いでしょうが、せっかく年間1億7千万人程度まで戻ってきた映画観客が減少しないよう、制作側も映画館側も観客が集まるような映画作りや集客努力をして欲しいものです。
この新座シネプレックスも、採算が合わず、撤退などという事になれば、また映画を見るためには池袋まで出かけなくてはなりません。がんばれよ、新座シネプレックス。寅さんは、残り4作全部見ますよ。

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2006年11月16日 (木)

父親たちの星条旗その2

Nv16_001_320  今朝(11月16日)の朝7時のNHKニュ-スで、映画硫黄島2部作の紹介をしていました。短い時間でしたがクリント・イーストウッド監督へのインタビューもありました。今日の夜7時半からの番組、クローズアップ現代でも、「イーストウッド・映画と人生」として、監督の特集番組があります。ここでもこの映画のメッセージを伝えてくれるようです。日本側からの視点で作った「硫黄島からの手紙」の紹介もあるのでしょう。楽しみです。
僕は、TVはあまり見ないほうですが、最近の木曜日だけは、見たい番組が重なっています。NHKの「慶次郎縁側日記」とフジテレビの「Dr.コトー診療所2006」です。あと、今日は女子バレー「日本×中国」戦ですね。これはちょっと気になります。
「慶次郎縁側日記」はシリーズ3回目で、今回でシリーズ終了のようです。これは残念です。高橋英樹がライフワークの役だと言っていましたので、まだ、続くものと思っていました。
(写真は映画「硫黄島からの手紙」、主演の栗林中将役は、渡辺 謙です。)
 硫黄島2部作のHP http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/

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2006年11月15日 (水)

父親たちの星条旗ー映画

Iwo_320  映画「父親たちの星条旗」 を見ました。
クリント・イーストウッド 監督が、日米双方の視点で撮ると発表した硫黄島2部作のうち、米国側の視点での作品です。日本側からの視点の「硫黄島からの手紙」は12月9日からの上映予定です。
2003年、2004年に作られた「 ミスティック・リバー」、「ミリオンダラー・ベイビー」が共に、心に残る映画だったので、太平洋戦争末期に、日米双方に多大の戦死者を出した激戦の島、硫黄島の戦いをどんな映画にするのかと思っていました。原作は、戦闘中に擂鉢山に星条旗を掲げて、その劇的な写真を撮られた若い兵士達が本国に戻され、政府が苦しい戦費を賄う為の戦時国債を売るために、英雄扱いされてその宣伝活動に利用されてしまう。友を失った戦場の苦しい記憶と各地を巡る宣伝の道具でしかない虚しさに、次第に心が蝕まれていく様を描いています。星条旗を掲げた6名の兵士のうち、3名は戦死し残る3名が故国に戻り英雄に祭り上げられるのですが、そのなかのひとりの兵士の死後、その息子が父から決して語られる事の無かった、写真の真実を、父親の人生を知るために、調べて書いた作品の映画化です。
ストーリーやキャストなどは、インターネットに沢山の情報がありますので、ここには書きませんが、クリント・イーストウッド 監督の映画作りに懸ける執念を、今度も強く感じさせてくれた作品です。この監督は、本当に凄い。
 戦争の勝ち負けや、善悪、国の主義、主張などを画面に出すことなく、戦場で倒れて行く若い兵士達を描き、戦争が人間に与える影響の深さを訴えてきます。その戦闘場面は、今まで見たどの戦争映画より臨場感のある恐ろしいまでの迫力で迫ってきます。上陸用舟艇から見る、砲撃される擂鉢山全景など、自分がその場にいるかのような錯覚にとらわれました。地下に隠されたトーチカから狙われて、次々に倒されていく兵士達、銃剣で闘う白兵戦、無残な戦死体など、激戦を繰り広げる戦場の映像に、アメリカ本国での英雄として扱われた苦悩の描写映像が、交錯して何度も繰り返されます。戦死した兵士とその家族の悲しみを描いて、クリント・イーストウッド 監督が「日本の皆様へ」と題して伝えたメッセージが、映画から心に響いてきます。そして日本側の視点で作られた「硫黄島からの手紙」を見る事によって、その思いがより明確になる気がします。2部作第2弾、日本から見た硫黄島。是非見たいと思います。
映画の出来は★★★★星4つとします。
この2部作を作り終えたクリント・イーストウッド 監督が、3度目のアカデミー賞を受賞して、引退するなどの記事もあります。とんでもない。まだまだ、作り続けてくれる事を願います。次作品が楽しみです。
参考: 硫黄島は現在東京都に属します。1945年2月19日にアメリカ海兵隊の上陸が開始され、3月26日に日本軍の組織的戦闘は終結した。日本軍は21,000名の守備兵力のうち20,129名が戦死した。アメリカ軍は戦死者6,821名、負傷者21,865名の損害を受けた。太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘であった。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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2006年11月13日 (月)

こんな物使っています-1

                          Denti320                               使用しているデジカメ、無線機、音楽プレーヤー等の電源は充電式のタイプではなく、乾電池が使用できるものを選んで使っています。充電タイプの製品のほうが、軽量で小型の製品が多いのですが、乾電池タイプであれば、単ニ、単三電池が旅行先など、どこでも入手できるメリットがあります。
しかし単三型など、20本セットを買っても、デジカメ、無線機で使用しているとすぐに無くなり、使用済電池の山が出来ます。そんな話しをしていたら、友人が奨めてくれたのが、充電式電池です。使うのを避けている充電式電源と矛盾するようですが、山へ行くときは普通の電池を使用しても、普段使いにはこの充電式電池を使うと有害ごみになる乾電池が減ると考えて、使うことにしました。
結果は、大変良いものでした。充電も簡単で、電池が完全に放電していなくても再充電できます。捨てる乾電池の量がぐっと減りました。
 電池は三洋電機(株)製で、昨年11月に発売した、自然放電が少なく約1000回繰り返して使用でき、使用後はリサイクル可能なニッケル水素二次電池“eneloop(エネループ)”です。それに単三型と単四型“eneloop(エネループ)”兼用で、4本を一緒に充電できる充電器が、単三型4本とセットで販売されていたものを購入しました。単四型4本は別売の電池単体を購入しました。このニッケル水素二次電池は低温にも強いと書かれていますので、温度の下がる山での使用には向いているのかもしれません。今度アルカリ電池と比較してみます。
(写真左の白いケースが充電器(NC-TG1)と単三型電池、右が単四電池。混在しても充電できる)

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2006年11月12日 (日)

カブの収穫ー超ミニ農園

Dscn0884_320  ついに、収穫です。日曜日の今朝、最初の一株を引き抜きました。直径約6.5cmの中カブです。とうもろこしは惨敗でしたので、本当にうれしい。まだ、5、6株残っていますので、もう少しまって大カブとして収穫したいと思います。土の全取替えが良かったのでしょう、9月下旬に種まきしてから50日目の収穫祭です。
本家農園の女農園主にも、お褒めの言葉をもらいました。

Dscn0885_320

(写真下 本家農園で今日採れたミニ大根と一緒にパチリ)
ミニ大根は、葉に大量のアブラムシ?が発生して、生育が良くありません。この写真は、出来の良い一本です。

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2006年11月11日 (土)

眺めの良い露天風呂シリーズ

Rotenn1_320 ここは、高台に建つホテルの屋上にある露天風呂です。筑波山温泉のホテル青木屋。入浴料が1、100円と高いのが難ありですが、風呂から空と景色を見ていると、なんとも明るい開放感に浸れます。筑波山登山の帰りに寄りました。

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スバル1000の写真ーミニチュアカー

Subaru1_512  11月7日の写真がマクロモードで撮影した為か、車体の後ろ部分がピンボケ状態でしたので、再度撮ってみました。光源も増やして見ましたが、やはりどう撮ってもスバル1000の感じが出ません。模型の製作精度の悪さと断定します。スバル1000の事になると、意地になってこだわる癖があります。写真まで大きくしてしまいました。でもこの写真も上手くない。ガラス面に光が反射してうまく撮影角度が決められません。外で撮ると良いのかな。(もう、いいよ、の声が聞こえそう)

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2006年11月10日 (金)

筑波山の紅葉は×

Tukuba1_320  昨日は天気予報も晴だったので、紅葉を期待し、筑波山に行きました。
山はもみじ祭り期間中でしたが、紅葉はまったく空振りでした。頂上付近は、たいした黄葉もなく、葉が落ちていましたし、中腹あたりの紅葉もほとんど見られませんでした。どうも今年の筑波山は、紅葉は駄目のようです。これからも期待できそうにありません。やはり暖かすぎた気温のせいでしょう。残念でした。
眺望は、さすがに独立峰、関東平野が一望でした。ただ昨日は、温かすぎて、春霞のような感じになり、ぜんたいがぼやけていました。
登山中は、汗ばむくらいで半袖のシャツ1枚で歩けました。つくばエクスプレスのつくば駅からシャトルバスで約50分、終点のつつじヶ丘から、登山道に入り、約1時間半の登りで女体山の山頂着、そこから男体山まで行き、紅葉に見るべきものが無いので、ケーブルカーで筑波山神社まで下りて、登山終了。
筑波山は、標高877m、日本100名山中、最も低い山です。他に1000m以下の山は、標高位99位の鹿児島県の開聞岳の924mがあるだけです。ちなみに標高位98位の伊吹山が1、377mで、それ以外は全て1、400m以上の高さがあります。帰りに5年で温泉100湯をめざして、そこはちゃんと筑波山温泉で1湯稼いできました。つくばエクスプレスが開通したおかげで、我が柳瀬川駅から、JR武蔵野線経由(南流山乗換え)で、つくば駅まで1時間少々で到着到着できたのには、びっくりしました。
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(写真上 女体山への登山道で、ちょっと紅葉らしい風景が)
(写真左 頂上付近からの眺望も、暖かくて、霞がかかったような状態)

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2006年11月 9日 (木)

熊除け鈴

Dscn0864_320  昨日、池袋の登山用具店、好日山荘に寄ったとき、澄んだ音色の熊除け鈴が有り、思わず購入してしまいました。写真中央の鐘型です。今までは写真右のカウベル型を使い、ストックのバンド部分に左の鈴型をつけていました。カウベル型のガラガラ鳴る音も良いのですが、今度の鐘型は、風鈴のようにチーンと高くなり、遠くまで響きそうです。
ここ、2、3年の異常事態、これほど熊との遭遇を気にしなくてはいけない状況は、過去の登山では、経験した事はありません。この事については、後で追記しておきます。

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2006年11月 7日 (火)

スバル1000

Dscn0863_320 雑誌「国産名車コレクション」のVOL.20は、スバル1000の登場です。毎号、古い国産車の、かなり精度の良い1/43ノレブ社製のミニチュアカーがつきますが、今回のスバル1000は、ちょっと首を傾げたくなる出来です。なんとなくスバル1000らしくない。特徴ある、ヘッドライトの丸みを欠きこんだボンネット部分のカーブがうまく出ていないし、リアガラスからトランク部分にかけての傾斜角もどこか本物らしくない。塗装にもよるのでしょうが、全体的になんかぴったりきません。なぜ、こだわるのか。実はこのスバル1000は、今から40年近く前に、僕が最初に手に入れた車でした。当時、同じ車に乗っていた熱烈なスバルファンの友人の強い勧めによるものでした。国産初の前輪駆動車として、アルミ合金製水平対向エンジン、モノコック構造ボデイ、4輪独立懸架、クーラント液を使用した電動ファン付きのラジエターなど数々の先進的技術を組みこんだ名車でした。デザインが評価されなかったようですが、僕は後継車である初代レオーネなどより、この1000、ff-1、1300Gと作られたこの外観は好きでした。
この車の思い出なら、いくらでも書けるのですが、それは今後、少しずつ書いてゆきます。排気量977ccといたって非力でしたが、低重心で、重量も700kgと軽かったので、軽快に走りました。運転するのが、楽しくてずいぶん遠出もしました。アクセルを緩めると、鼻先がくっと曲る、FF車特有のアンダーステア-癖が強く出る車でした。しかし雪道に滅法強く、当時前輪にチェーンをつけると、FF車とわからずに、奇異な目で見られることもありましたが、他のFR車を寄せつけない抜群の安定感でした。たまに雪が降ると喜んで街に飛びだしたものです。FF車として、この後、たしか日産のチェリーが出ましたが、ホンダのシビックが出ると、増えていた我がスバル仲間の乗り換えが多くなってしまいました。
そんな訳で、このミニチュアカーの出来は、本の発売が待ちどうしかっただけに、ちょっと残念です。6058001
(写真上は、ミニチュアカー、写真の撮り方が下手なので、もう一度撮り直して見ます。写真下は実車、この感じが出ていない)

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2006年11月 6日 (月)

また将監峠に行きたい

Nv06_001_320  昨年の11月に和名倉山に登る際、幕営したのが将監峠でした。いかにも奥秩父の山小屋らしい古びた将監小屋の横が、天幕場です。
明るく開けた草地は、階段状になっていて絶好の天幕場になっています。小屋の横からは、沢から引いた冷たい水が、勢い良く流れ出ていました。もう紅葉は終わったでしょうが、すぐにでも行きたい場所、そして何日でものんびりしていたい場所です。
11月とは言え、氷点下に下がった気温に、震えながらテントから這い出して見ると、恐ろしいほどに、満天の星が輝いていました。少し離れると、誰もいない草原に僕たちのテントだけがひとつ、ぽつんと黄色く浮かびあがって見え、近くには獣の気配がしました。そして翌日、熊に遭遇したのです。でもまた行きたい。
(写真は誰もいない天幕場、下は草地、30m横には水が流れています。最高です)

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2006年11月 5日 (日)

桜の葉が無くなったわけ

Dscn0859_320  今日、このお知らせが、柳瀬川駅横の土手の駐輪場に貼ってありました。桜の葉がほとんど消滅した原因は、これだったのだ。しかし、どんな毛虫だろう。いくら探してもその姿は一匹も見つけられませんでした。
それと、草刈をした後に、生えてきた土手の草が、まるで春のように青々としていて、河原の銀色のすすきとそぐわない、おかしな景色を作り出しています。

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バラまで咲きだしたー暖かい秋

Bara1_320  庭の白バラが10輪ほど咲いています。まだ沢山の蕾があるので、これからも咲くことでしょう。通常、5月の連休後に花が咲いてから、時々は1輪、2輪と咲くことはあっても、全体が咲き出す事は無かった現象です。
狂い咲きということでしょうか。きれいではありますが、この気候、喜ぶわけにはいかない気がします。

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2006年11月 3日 (金)

素晴らしい絵画キルト

Dscn0818_320_1 ここは、諏訪市の原田泰治美術館です。
この美術館は諏訪市出身のグラフィックデザイナーであり画家・原田泰治氏の作品を展示する美術館として、1998年7月北アルプスの峰々を望む諏訪湖のほとりに開館しました。ここの2階のティルームの大きなガラスごしに眺める諏訪湖の景色は、実に素晴らしいですよ。設計はエム建築設計事務所です。
 ここで、原田泰治の作品を、キルトで仕上げた作品の展覧会が行なわれていたので、先日、尖石縄文考古館に行く前に訪ねました。以下HPのコピーです。
「一針ずつ思いを込めて縫い上げるキルト作品の温かさと、美しい日本のふるさとをテーマに、石垣ひとつずつ積み上げ、花びらを一筆一筆描き込んでいく[原田泰治の世界]のぬくもりとが出会ったら、新しい絵画キルトの世界が生まれるのではないか…
そんな願いを込め一昨年より開催している、原田泰治の世界をキルトで遊ぶ[第3回絵画キルト大賞]には、全国から多くの応募作品が寄せられました。
本展では、審査の結果選ばれた入賞・入選作品を原画とともに展示します。
原田泰治作品と向き合い、気の遠くなるような時間をかけて縫い上げられた絵画キルトの世界をご覧ください。 」

館内には、原画とキルト作品が並べて展示されており、両作品を較べながら鑑賞できるようになっていました。どの作品も、原画に忠実に仕上げられていて、制作期間が6ヶ月以上のものがほとんどでした。布と糸で仕上げられているそれらの素晴らしい作品に、絵画キルトの美しさを再認識すると共に、制作の熱意と根気に圧倒されました。大賞に選ばれた、小川厚子さんの「夜桜」という作品のパッチワーク手法で表現した城の石垣は、見事としか言いようがありません。見ごたえのある展覧会でした。
Nv03_001_320_1 Nv03_002_320 〈写真左が大賞作品の「夜桜」)

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2006年11月 1日 (水)

映画「日本国憲法」

  先日、志木市柳瀬川図書館の視聴覚会議室で行なわれた、「志木・九条の会」主催による映画「日本国憲法」の上映会に行きました。
映画の詳細は、下記URLで見る事ができますので、感想を一言。
          http://www.cine.co.jp/kenpo/index.html
 やや、難しい映画でしたが、映画の中で、インタビューに答える外国人出演者達の日本國憲法に対する思いが、重くかつ新鮮でした。憲法について日本人が日本のためにだけ考えるのではなく、世界、特にアジアの国々との連携のなかで考えてゆくべきだとの言葉には、目を覚まされる思いでした。
 今、自民、公明両党政府は教育基本法改正、共謀罪(組織犯罪処罰法6条の2)の新設、防衛庁の防衛省への昇格などをセットで進めながら、憲法九条の改正をいかに実現するか模索しています。
実際に世論調査でも憲法九条の改正への賛成が、反対より多くなっているとの報道もあります。朝日、毎日、読売新聞三誌のなかで、読売新聞は10年以上前から、改正を提言しています。
僕は戦後60年たって、護憲派、改憲派のそれぞれの主張、意見には、共にどちらが正しいと云えない真理があると思います。それゆえに、ひとりひとりが、この問題を考えて自分の判断をしなければならない。しかもそれはそう先ではない。それを表現できる場が選挙です。僕は今、平和を望むべき社会の根底が、揺らぎ始めていると感じます。そのひとつが選挙の投票率の極端な低下です。小選挙区、40%代の投票率では、有権者の5%程度といわれる公明党が、その完璧な投票率により、少ない投票総数のなかで、得票率を12~13%代にまで伸ばして、選挙の結果を支配しています。選挙は公明党票がどちらの陣営に上積みされるかで決まります。投票に行かない半数の人達に望みます。平和を守ろうとする人達の意見に、耳を傾け、その連体感を感じ取って欲しい。そして自分の意思で投票し、その結果が日本を動かすのだという実感をつかんで欲しい。
映画を見ながら、こんな事を考えていました。
                                                     「志木・九条の会」が発行したアピール文をコピーしましたので、掲載します。
  [志木・九条の会」アピール
  志木に住み、働き、学ぶ、すべての人たちに呼びかけます。
  今こそ、世界に誇れる、平和憲法九条を守っていきましょう。

沖縄、東京をはじめ、日本各地が焼け野原となり、そして広島、長崎に原爆が落とされ、ようやく終わった第二次世界大戦。このあとやっと、悲惨な戦争を経験した人々の、平和への願いがこもった、あたらしい日本國憲法ができあがりました。
 それから半世紀を越え、この平和憲法のおかげで、私たちの生活が守られ、今まで無事に過ごすことができました。
ところが日本は一昨年、こうしてきめられた憲法の下で、アメリカがしかけたイラク戦争に加わり、国際貢献・人道支援の名のもとに、自衛隊を派遣してしまいました。また、現在、憲法を「改正」しようとしている人々は、「押しつけ憲法反対」「戦後、60年たって、古くなった」「時代おくれだ」など、憲法を変える動きを強めています。そして結局、アメリカの望むとおりに、「日本を戦争ができる国」にしようとしています。
 市民の方々からは、「東京大空襲のとき、母は私を背中に炎を避けて逃げまどった」「二度と戦争はごめんだ」「戦後の食糧難は本当にたいへんだった」「広島の原爆の写真で戦争の悲惨さを知った」「イラク戦争で戦争が何かがわかる」「戦争は犯罪の最大のもの」「次代の青少年への責任として九条を残さなくては」などなど、痛切な声が寄せられています。
 さらに、日本國憲法は次代遅れどころか、21世紀にその輝きをいっそう増しています。憲法第九条は国連憲章にのっとり、アジアをはじめとする世界の多くの国々や、平和を願う人びとから尊敬の目をもってみられています。また、国際的な紛争、国家間の意見の相違を外交交渉によって、解決の方向を見出そうという流れも強まっています。
 私たちは、戦争のない、平和な暮らしのできる日本、世界であってほしいと願います。地球環境を破壊し、民主主義を否定し、人類が営々としてつみ上げ、創り上げてきた文化、芸術、スポーツを台無しにする戦争を憎みます。
 市民の皆さん、志木で働き、学ぶすべての皆さん、今こそ、立場の違いをのり越えて、九条をもつ日本國憲法を守るという一点で手をつなぎ、私たちにできることから、今すぐ始めようではありませんか。
    2005年4月24日 [志木・九条の会」

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