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2006年10月 6日 (金)

浅間隠山と二度上峠、そして草軽電鉄

 先週の土曜日の夜に、山仲間の集まりがあり、昼間は、近くの浅間隠山に登ってから、会合場所の布引温泉に集まる計画になりました。
以前は静かな山だった浅間隠山(1、757m)も、最近は日本200名山である事で、かなり登山者の多い山になっていました。当日も、二度上峠近くの登山口の駐車場は、満車状態で登山者が50人はいたでしょう。少し曇空でしたが、頂上からは、噴煙を上げる大きな浅間山が目の前いっぱいに広がっていました。
僕は二度上峠に来る度に、とうの昔に廃線となった草軽電鉄を思い出します。昭和30年代の前半、当時北軽井沢の一匡邑に小さな別荘を持っていた友人宅を訪ねるのに、軽井沢から、北軽井沢までをこの電車に乗って行きました。
その際、二度上駅では、ひとつ手前の国境平方面から時速15kmくらいでしょうか、ゴトゴトと登って行き、二度上駅の横を通り過ぎてからいったん停車し、バックで二度上駅に入り、そこからまた北軽井沢方面の栗平駅に向って走り出すのでした。まさに二度上げです。友人が、たしか国境平駅で電車から降りて、歩いて二度上駅まで行くと、降りた電車にまた乗れるはずと云っていたのを、思い出します。それを実行したかは聞かなかったのですが、それほどのろのろ走っていたのです。同じような想い出に、当時、八ヶ岳に登るために良く乗った小海線があります。中央線の小淵沢駅から、甲斐小泉、甲斐大泉とあえぎあえぎ登る蒸気機関車に連結された、2両ほどの客車の最後尾のデッキで、友人が一度降りてから、走って飛び乗れると、本当に実行しそうになりました。こちらも一部急勾配区間はそう思えるほどの、のろのろ運転でした。
今となってはどちらも懐かしい思い出です。乗客数の激減と、自然災害による線路保守が難しくなり、廃線になるべくして廃線化された草軽電鉄ですが、今、もし存続していたら、どんな状況なのだろうかと考えたりします。友人の母親が、昭和始めには特別列車まで運行されたと、華やかなりし頃の、草軽電鉄の事を楽しそうに話してくれた事が思い出されます。
廃線前の二度上駅付近の、貴重な写真のあるHPを見つけました。ちょうど僕が利用した頃の映像です。本当に懐かしい写真です。
(草軽電鉄の写真) http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/kusakaru.htm

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コメント

一匡邑のブログを作って下さりありがとうございます。
そうです、あの共同浴場こそ、私にとって邑の原点です。名古屋に住んでいた時に、愛犬を汽車で送り
北軽の駅で受け取る。チッキという荷物の別送システムを利用して一夏分の衣料その他を送った。
東京から国道17号を通って数時間掛けて邑に向かう。
今は奈良から7時間ちょっとかけて辿り着く。

投稿: イノウエ | 2011年6月 5日 (日) 07時10分

>イノウエさま
拙いブログをお読み頂きありがとうございます。
共同浴場の前の広場で、子供たちが遊んでいたのが、今でも目に浮かびます。今から思えばつつましやかな生活をおくっていた時代でしたが、何か心は豊かだった思いがあります。その後、共同浴場が無くなり、僅かにタイルの浴槽が残ったいるのを見て寂しく感じたものです。友人で邑の住人だったYご夫妻も亡くなり、訪ねる機会が減りましたが、草軽電鉄の北軽井沢駅から、邑へと続く、ミンク飼育場跡やお地蔵様が立っていた細い道を今でも忘れません。すみません、書き出すときりが無いですね。いつまでもお元気でお過ごしください。

投稿: Souroku | 2011年6月 6日 (月) 10時47分

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