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2006年8月30日 (水)

王子さまのハンカチ騒動ースーパー「ベイシア」の場合

 今日(30日)の毎日新聞朝刊の「雑記帳」に次の記事がありました。引用させてもらいます。
△夏の甲子園で優勝した早稲田実業の斉藤佑樹投手が愛用する青いハンカチを斉藤投手の故郷、群馬県のスーパー「ベイシア」(本社・前橋市)が大放出。1500円以上の買物客80人に抽選で贈呈する。
△決勝戦の翌日、大阪市内のメーカーに発注。「るいじ品でもいいから」と頼んだのに本物がきてびっくり。「斎藤君は息子と同じ野球チームだった」という社員もいて、販売はやめた。
△伊勢崎市内の対象店で9月1日から3日間。「王子ファン」が殺到しそうだ。{桝谷敦子}

 
 夏の甲子園優勝校、早稲田実業の斎藤投手の使用していた青いハンカチが大フィーバー。ハンカチの製造メーカーである大阪の「株式会社ニシオ」が判明するまで、ジャスダック市場に上場しているハンカチメーカー大手の「川辺」(本社・東京)の株は先週末216円から、263円まで47円の上昇。さすがに製造元が他社のニシオとわかったためか、昨日の終値は243円と一服状態。たかがハンカチですが上場会社の株価にも大きく影響しました。
ところで本題です
 群馬県のスーパー「ベイシア」が、斎藤投手の使用していたハンカチと同じものを贈呈との事ですが、いままでスポーツ紙各社とも次のような報道をしていました。一例としてインターネットから、スポーツ報知の記事を引用させてもらいます。
□早実・斎藤佑樹投手(3年)が夏の甲子園での試合中に使用し“佑ちゃんハンカチ”として注目を集めていたタオルハンカチの製造元が23日、ついに判明した。作っていたのは大阪・中央区に本社のあるハンカチ、エプロンの製造販売会社「ニシオ株式会社」。だが、このタオルハンカチは残念ながらすでに生産、販売ともに完了しているという。思わぬプレミア商品となった“佑ちゃんハンカチ”をめぐり、フィーバーはさらに過熱しそうだ。

□ どこのブランドなのか、日本中の注目を集めていた“佑ちゃんハンカチ”の正体が、ようやく分かった。青いタオル地に白ぬきで、ニシオ株式会社のオリジナルブランド「GIUSEPPE FRASSON(ジョゼッペ・フラッソン)」のロゴが入った1枚400円(税別)のタオルハンカチ。ブランド名は「イタリア人デザイナーの名前」だそうだが、5年前から製造販売され、これまでに5~6万枚が全国に出荷されたという。

□ カラーは斎藤投手が使用したブルーに加え、ベージュの2色展開だった。だが、残念ながらすでに生産、販売ともに完了しており、同社にも在庫はないという。西尾武志社長(46)は「今、どこで買えるかは、まったく把握しておりません」と、予想外の過熱ぶりに困惑の表情を浮かべた。

□ 試合中、マウンドで汗を丁寧にふくたびに話題となり、大会終了後も全国のデパートやメーカーに「どこのメーカー?」「売ってますか?」と問い合わせが殺到。類似の青いタオルをまとめ買いする人もいたほど人気の“佑ちゃんハンカチ”だったが、西尾社長が自社製品と気づいたのは、激闘が終わって2日も経過したこの日の朝だった。

□ 「新聞などの写真では、分からなかったのですが、テレビでこのロゴを見つけて分かりました」という。「(大会期間中に)問屋さんから問い合わせなどもあったのですが、試合のときはまさかウチの商品とは想像もつきませんでした」と、大きなチャンスに突然、巻き込まれた驚きは隠せない。

という事で、残念ながら、ハンカチは生産、販売中止され、在庫も無く、今どこで買えるかも把握できない状態というのが、現状のようです。
この販売価格が400円だったというブルーのハンカチ、インターネットで早くも10倍の価格もついているようですが、もし群馬県のスーパー「ベイシア」が入手したのが、「ベイシア」の言うように本物としたら、多くの入手希望客が集まって大変な騒ぎになる事ではないかと心配します。どこか問屋の倉庫に眠っていたのなら、ベイシア発注担当者の大金星なのですが、「ベイシア」が言うように、大阪市内のメーカーに発注。「るいじ品でもいいから」と頼んだのに本物がきてびっくり。」だとしたら、この食い違い問題、どう決着がつくのでしょうか。
毎日新聞の桝谷敦子記者が始末書を書くことになるか、「ベイシア」がお詫びするのか、運良く本物の超レアものハンカチを貰えた前橋市民が大喜びするのか。なにか9月1日のベイシア店舗前は、波瀾が予想されます。テレビ局さん、レポーターを張りつけた方が良いかもしれませんよ。
参考までに「株式会社ニシオ」のHPです。http://www.tnishio.co.jp/index.html

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2006年8月28日 (月)

サイクルボーイ新装開店ーペアモール商店街

Dscn0517_320  柳瀬川駅前、ペアモール商店街の、自転車店「サイクルボーイ」が、7月より場所を移転して新装オープンしました。近くのペアモール内に、こんなおしゃれな自転車店が有ると、なんとなく嬉しくなります。店内にはスポーツ車、軽快車が目立ちますが、最も販売台数の多いのは、買物、通勤、通学などに使用する普通自転車との事です。しかし、展示されているデザインの良いカラフルな自転車を見ると、なんだか乗ってみたくなります。一台欲しいな。オーナーは、新規購入から、修理や整備、パーツ交換依頼や、気になるメーカーの自転車の事なDscn0518_320ど、気軽に相談してくださいと語ってくれました。ただ、超廉価自転車の販売をしないのは、数10年前の自転車のレストアを、こつこつと手がけている自転車大好きオーナーの心意気と感じました。
「サイクルボーイ」さん、頑張ってください。応援しますよ。
 サイクルボーイ 志木市館2-7-4
  TEL 048-474-6228                 

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2006年8月27日 (日)

ブロッケン現象ー遥かなる山旅(栂海新道)

Ag27_001_320  写真は、5年ほど前に、僕が山で撮影したブロッケン現象です。
以下、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用します
ブロッケン現象ブロッケン現象(ぶろっけんげんしょう)(phenomenon of brocken spectre,glory,光輪)は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲や霧に光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現われる現象。山岳の気象現象として有名で、尾根の日陰側かつ風上側の急勾配の谷で山肌に沿って雲 (霧) がゆっくり這い上がり、稜線で日光にあたって消える場合によく観察される。航空機から見下ろす雲や、平地でも川霧等に現われることがある。
虹に比べて、見かけの大きさは10分の1程度と小さく、光の輪は何重にもなる場合がある。また、見る人の影が十分小さければ、中心点にも輝点が見られる。内側は青色で、外側は赤色。
名前の由来となるドイツのブロッケン山は、ハルツ山脈の最高峰(1,142m)である。 ブロッケンの妖怪、怪物とも呼ばれるが、日本では御来迎 (ごらいごう)とも呼ばれ、古くは阿弥陀如来が姿を現したと考えられたためである。槍ヶ岳開山を果たした僧播隆の前に出現した話が有名。
水滴が起こすミー散乱の後方散乱が、光の色(波長)によって異なる角度依存性を持つ事に起因する。ミー散乱を起こす粒子は非常に小さい。(虹は雨粒による屈折と内部反射によるものである。)
ブロッケン現象は、霧の中に伸びた影と、周りにできる虹色の輪(ブロッケンの虹)の二現象をまとめて指している。

 栂海新道は、僕の山行の中でも、特に記憶に残るものでした。北アルプスの白馬岳より朝日岳を経て、日本海の親不知の海までの長い山歩き、3000mの稜線から、遥か海抜0mの日本海まで1軒の人家に遇うことなくトレースします。一般ルートではないので、登山者も少なく3泊4日の静かな、でもかなり厳しい山旅です。地元山岳会のたいへんな努力の末にこの新道が出来て以来、親不知の海岸で海に手を入れて山旅が終わるというロマン溢れるコースとして人気が有ります。
このブロッケン現象は、その栂海新道の犬ヶ岳付近でで出会いました。霧の中に自分の影が、光の輪に包まれるように浮かんでいて感激しました。
この写真を見ると、花を踏まないように歩いたあやめ平、黒岩平の美しい景色が
浮かんできます。また、でも相当の覚悟で訪ねたいコースです。
Ag27_002_512 Ag27_003_512

天上の楽園のような、栂海新道の上部。しかし楽有れば苦有り。しつっこいまでに稜線をトレースする後半部は、木の根に掴まっての苦しい登り下りを何度も強いられます。いくら歩いても海は遥か彼方でした。

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2006年8月26日 (土)

完璧なサポートーEIZO液晶モニター

Moniter_320  毎日使用しているEIZOの液晶モニターに、細い横線が一本入るトラブルが発生しました。このモニターは購入後2年半使用していました。
エイゾーのサポートセンターと電話で話し、他のパソコンから接続しても同じ症状が出るところから、メーカー修理と云う事になりました。
ここからが、見事なサポート対応でした。EIZOの液晶モニターは、他のメーカーには無い5年間無償修理がついています。(一部機種を除く)。
セカンドバック方式というこの修理対応は、メーカーから、宅配便で故障製品を受取りに来てくれて、修理後宅配便で配送してくれるサービスです。早速FAXでのやり取りで、受取りの日時を指定しました。その当日、約束の時間に宅配便業者が、やってきました。モニターを修理している間は、自動車の代車ならぬ、貸出しモニターが送られてきています。宅配便の人に協力して梱包を解いて、今度は修理依頼のモニターを梱包します。これで全て終了。
貸出し用のモニターは、嬉しいことに修理依頼のFlexScanL567と同じ製品。しかも新品同様。再接続も全く問題ありません。修理依頼品より、これを頂けたほうが嬉しいくらいです。使用中のパソコン、デスクトップもノートも、不運な事にどちらもメーカーが撤退し、お寒いサポート体制がほそぼそと続いている有様でしたので、当たり前とはいえ、このサポート対応には正直大感激。全て無料ですから。後は依頼時と逆の方法で、修理依頼品を受け取り、代車じゃない、代モニターを帰すだけです。サポートセンターの、女性の対応も含めて、(株)ナナオさんのサポートは★★★★★五つです。
次のモニター選択も、浮気はせずEIZOに決めます。(でも、ちょっと気になる他メーカー製品が?)
写真は、貸出しモニターです。修理依頼品の色はブラックでしたが、さすがに同じ色が欲しいとは云えませんでした。

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2006年8月25日 (金)

クリント・イーストウッド監督最新作

 昨日に続き、映画の話題です。太平洋戦争の最激戦地、硫黄島の攻防を日米両方の視点で描く2本の作品が公開されます。両作品とも、監督は、クリント・イーストウッド、制作にスティーブン・スピルバーグが参加しています。
米国側の視点から描いた「父親たちの星条旗」が10月に公開予定です。
日本側の視点から描いた「硫黄島からの手紙」は、来年2月以降の予定だそうです。
 硫黄島の戦いは1945年2月18日から1945年3月22日にかけて行なわれ、あの小さな島(面積約22平方km)で日本側は戦死者二万人以上を出し、守備隊の生存者は約千人程度です。アメリカ側も戦死者が六千人、負傷者を合わせると二万八千人以上という、太平洋戦争でも最大の激戦地となりました。
この対を成すハリウッド映画で、クリント・イーストウッド監督は「これらの映画を通して両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば」と日本にメッセージを送っています。日本側の視点から描いた「硫黄島からの手紙」の出演俳優は 渡辺謙 、二宮和也 、伊原剛志 、加瀬亮 、 中村獅童、   裕木奈江 などです。 
激戦から61年目の今年、クリント・イーストウッド監督はどんな映画を見せてくれるのでしょうか。
 ところで、この硫黄島の戦いで歴史に残る戦争写真を撮影したカメラマン、ジョー・ローゼンタールさんが米ロサンゼルス北部で今月20日、94歳で死去したと家族が発表しました。従軍当時は、まだ33歳だったのですね。
 氏は、硫黄島にある擂鉢山の山頂に、米兵らが星条旗を立てるシーンを撮影して、1945年にピューリッツァー賞を受賞しました。
この写真は、太平洋戦争の米軍海兵隊の戦いを描いたシンボル的な写真として有名になりました。
Ioujima 5人の海兵隊員と星条旗、切手や銅像も作られました。

 

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2006年8月24日 (木)

この夏の映画3作

このところのブログ、字数の多い日が続いたので、今日は簡単に。
この夏見た映画3作の事です。
 1. パイレーツ・オブ・カリビアン(デッドマンズ・チェスト) 151分
 3作の中で、文句無しにもっとも面白かった。DVDでなく、絶対に劇場の大型スクリーンで見る事をお薦めします。それもすぐに。暑さ凌ぎのストレス解消にバッチリです。第1作もそうですが、帆船の海賊がでると、どんな映画でも絵になります。ストーリーは、あり得ないようで、でもどこか惹かれる。真面目なようで、なんともばかばかしい限り。しかしめっぽう楽しい。なんども笑いました。ともかく愛すべき海賊、ジャック・スパロウのジョニー・デップにつきます。本当にはまり役です。ウィル・ターナー役のオーランド・ブルームも颯爽としています。
「星」 ★★★★☆最後のひとつは、第3作を、必ず見るぞと期待させてくれたごほうび☆。

 2. M:I:Ⅲ 126分
 ともかくめまぐるしいほどの、画面展開。いろいろあって見ていて飽きません。しかし第1作のようなしっかり組み立てられたスパイ映画ではなく、ちょっと現実味のないようなアクションシーンの連続には、ちょっと異議有り。007シリーズの第1作。ボンドのもつ魅力とストーリーの面白さが、シリーズが続くに従い、大掛かりな仕掛や、機材によるアクションシーンが目立つようになり、かえって面白くなくなったのと、同じに感じました。
イーサン・ハント役のトム・クルーズのかっこ良さと、悪役オーウェン・ディヴィアン役のフィリップ・シーモア・ホフマンはいいですね。このシリーズはまだ続くのかな?。
「星」★★★☆

 3. ダヴィンチ・コード 150分
 原作は評判だったが、読まずに映画をみました。長い原作をまとめるのに精一杯という事でしょうか、ストーリーも解り難く、謎解きも引きこまれませんでした。
後で本屋で立読みして、そうだったのかと思ったりしました。トム・ハンクス、ジャン・レノなどの大物個性俳優が出ていますが、原作を読んで、感動した方は映画は見なくても良いかも。後でDVDで充分。ずばり、予想以下の出来でした。
「星」★★★最後の★は、映画化の努力と、話題性の☆+。

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2006年8月22日 (火)

四谷東福院その3

Kobetu1_512  8月15日に四谷の東福院の事を書いたところ、検索から僕のブログを訪ねてくれる方が多くなりました。永代供養付納骨壇のTVコマーシャルが、再開されている影響と思います。東福院のHPがリニューアルの為、最近まで閉鎖されていたようですが現在は、見る事が出来るようになりました。永代供養付納骨壇と、永代使用納骨壇の違いなどがわかり難いところもありますので、檀家に連なる縁で、すこし解説いたします。
 東福院のHPと、納骨壇の販売委託をしている(株)東都のHPは別になっていますので、WebサイトのURLを書いておきます。
http://www.toto-net.com/toufukuin/ 東福院のHP
http://www.toto-net.com/toufukuin/form_s.html  (株)東都HP
検索で四谷東福院とすると、下の(株)東都のHPが、東福院とすると東福院のHPがでるようです。
JR四谷駅から徒歩10分、元文化放送ビルの斜め前、道路も東福院坂と名付けられている由緒ある寺です。アクセスや寺の由来などはHPを見てください。尚、寺の境内にある豆腐地蔵尊にまつわる話は有名です。室内の納骨壇の他に、勿論外墓地は有りますが、僕が知る限り空きは無いようです。寺の墓地内の管理はいついっても清掃が行き届き、お盆などには、それぞれの墓もきれいに整えられています。気持ちのよい管理です。本題の納骨壇に戻ります。
 永代供養付納骨壇とは、独身や、後継ぎがいない場合(お嬢さんが、他家に嫁いでいるなども、該当します)の個人、ご夫婦のお墓です。(2人用までしかありません)寺の説明には、もちろんないですが、継承されている墓には、入りたくない?方なども対象になるかと思います。(失礼、僕の推察です)。この納骨壇を契約すると、最初の支払いだけで、真言宗の戒名が授与され、初七日から33回忌までの回忌法要、祥月命日供養、お彼岸・お盆供養などの永代供養が、管理料など一切無しに行ってくれます。縁者が法要を望めば、縁者出席の元、通常の供養法要が出来ます。この場合別途、お布施が必要だと思います。33回忌が過ぎると、納骨壇の契約はなくなり、供養搭に合祀されて、さらに永代に供養されます。
寺では継承者がいないと、法事や追善供養も出来ず、無縁仏と放置されかねない為に、継承者がいなくても、手厚い法要に安心を加味したシステムとであると謳っています。
 もうひとつの永代使用納骨壇とは、はやい話が、外に有る墓石墓地にかわる室内型墓地です。寺の説明にはないですが、マンション墓地とも云われます。2人用から9人用まで有るようです。人数により値段が異なります。宗派は問われません。
普通の墓地と同じく、後を継ぐ方が続く限り、無期限で使用できますが、外の墓地と同じように年間の管理費などが掛ります。法要なども継承者の依頼で行なわれます。もちろんお布施が必要になります。
両納骨壇とも、室内墓地ですから、天候に左右されずお墓参りができるわけです。以上書きました事は、僕自身がパンフレットからでは、わかり難かったので今年のお盆の墓参りの際、寺で説明を受けた事を要約したものですから、値段その他の契約条件は、これによらないで下さい。すべて、寺側の販売、契約条件が優先しますので、よろしくお願いいたします。東福院のコマ-シャルのような記事になりましたが、檀家に連なるものとして信頼する寺に協力できればと思い、書かせてもらいました。

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2006年8月20日 (日)

ナチスの影ーギュンター・グロス

Ggrass1_320  今月始め、著書「ブリキの太鼓」などで知られる、1999年のノーベル文学賞の受賞者であるドイツの小説家、ギュンター・グラス氏(1927年生)が、17歳の時にナチス・ドイツの親衛隊に所属していたとして、ノーベル賞を返還すべきだなどの批判を受けていると報じられました。今までにもナチス・ドイツとの暗い過去を問われた著名人は多いのですが、氏の場合も自ら告白した事とはいえ、厳しい立場に追い込まれてしまいました。
4月12日に「ナチスの暗い影ー監督と登山家の場合」で書いた、僕が尊敬するアイガー北壁の初登攀者である、登山家ハインリッヒ・ハラー氏も、晩年にナチス・ドイツの親衛隊員である事を、暴露され窮地に陥ってしまいました。どちらもドイツの政治問題週刊誌「シュピーゲル誌」が報道したようです。
ハインリッヒ・ハラー氏は、オーストリヤ生まれですが、当時ドイツに併合されて、ドイツ国民にされていました。ギュンター・グラス氏もまた、現在はポーランド領になっているダンツィヒ自由市で生まれました。父親はドイツ人、母親は少数民族のカシューブ人でした。ハインリッヒ・ハラー氏の著書、アイガー北壁登攀史「新編白い蜘蛛」の訳者である長谷見 敏氏は、訳者あとがきの中で、次のように書いています。
 「522頁引用」
 彼の家を訪ねる途中、まだ山陰に雪の残る雪の残るチロルの村々のガストハウス(宿屋)の酒場でいろいろな村人の話を聞いた。ハラーの事はみなよく知っていた。老人達の話が私の気持ちの救いになった。「三十年代の初めはオーストリヤは政治体制の崩壊と極端な不況で失業者が溢れていた。オーストリヤにもナチスが台頭したが、これは出口の無い若者を惹きつけた。三十六年のベルリン・オリンピックは、ゲルマン民族の身体能力の優秀性を宣伝したものだ。体育団体は特に民族主義的な精神で組織化されていったし、ナチに同調して党員になったものも多かった。それが時勢だった。山狂していた若者がナチスの親衛隊員になったとしても、邪気のあったものではないだろうよ」

ギュンター・グラス氏もまた、ドイツ、ポーランドというふたつの国、そしてさまざまな民族の間の狭間で揺れる祖国で、15歳にして労働奉仕団・空軍補助兵になり、ナチスの武装親衛隊に入ってゆく過程に、ハラー氏と同じ構図を感じてしまいます。しかし過去の過ちをしっかりと見据えるヨーロッパでは、ナチス・ドイツの暗い過去は、見過ごされる事は無かったのでした。
8月18日(金)の毎日新聞夕刊に、「アウシュビッツを訪ねて」と題した記事が掲載されました。アウシュビッツ強制収容所は、ポーランドの国立博物館として公開され、1979年にユネスコ世界遺産に登録されています。ここの約180人いる公式ガイドの中の唯一の日本人ガイド、いや唯一の外国人ガイドである中谷剛さんに館内を案内された時の報告記事です。その記事に、各国訪問者のうち、14~25歳の若者が半分以上を占めるが、日本人は他国に比べ若者の訪問者数が少ないとの事です。そして過去の負の遺産を現在につなげようという周辺国の姿勢にも学ばされたと書いています。ハンガリー、フランス、オランダ、イタリア、ベルギー、オーストリア、旧ユーゴスラビア、チェコスロヴァキア、ポーランド、等の国々が自国の戦争被害だけでなく、ユダヤ人の強制収容所への移送に自国が協力した事実を写真や映像で伝えているという事。ナチスドイツによる大きな被害を受けた各国が、同時に加害者としての過ちを認めて、後世に伝えようとしていると感じたと書いています。そしてその展示費用はその国の負担だそうです。
中谷さんは、日本からの訪問者には、過去にアジアに対して犯した罪についても語るようにしている、日本の若者に、日本が過去に何をしてきたかについても目を向けて欲しいと語っています。
『人類が二度と繰り返してはならない20世紀の負の遺産』として、アウシュビッツ強制収容所と共に挙げられる広島の原爆ドーム。 今、この横に高層マンションを建設し、原爆ドームをして、市街地にこのような廃墟を残す意味がわからないという発言まで聞かれる日本の現実があります。
小泉首相の靖国神社参拝の強行に見られるような、戦争責任を曖昧にしてきた日本の社会。なぜなら靖国神社は日中戦争や太平洋戦争を「自存自衛の避け得なかった戦争」との立場を崩さず、A級戦犯を「昭和殉難者」として称え、A級戦犯だけを合祀しないのは極東裁判を認めた事になるとしています。国民を塗炭の苦しみに追いこんだ太平洋戦争中、僕も空襲下の東京を逃げ惑う両親と離れ、石川県、福島県と厳しい食料事情の中、疎開先を転々としました。戦争は死んだ、いや、親や兄弟、愛する人を守りたいとの思いのなかで、国に殺された兵士だけでなく、空襲や悲惨な原爆、戦闘に巻き込まれたたり、食料、医薬品の不足などで死んだ多くの人々をも犠牲にしました。小泉首相が曖昧な言動を繰り返しつつ、最後に「心の問題」と逃げるなら、僕にも心の問題はあります。侵略戦争に突き進む日本を止められなかった親の世代での過ちを、絶対に繰り返させないとの思いです。首相たるもの、自分の意地からの心の問題ではなく、多くの戦争被害者や、侵略された国の人々の心の問題を真剣に考え、明確な発言のもとに行動すべきです。最近は戦争責任を、しっかりと見極めようとせず、侵略戦争を正当化する発言なども目立つようになりました。憲法改正、教育基本法、防衛庁の防衛省昇格などの動きに注目しています。過ちを繰り返させない為には、何よりも選挙への参加だと思います。投票率が40%にも満たない選挙があります。この選挙と投票率の事についてはまた書きます。

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2006年8月18日 (金)

超ミニ農園の失敗

Minino1_320_1  7月18日に「超ミニ」と題して、家内の農園に対抗して、庭に自分用の60cm角のミニ農園を作った事を書きました。今日はその報告。本来であればこの収穫を見てくださいと書きたかったのですが、残念ながら収穫は無し。左上写真のようにとうもろこし4本は成長せず、ついた実も、どんな誉め言葉の甲斐もなく、大きくなることなく枯れ始めています。とうもろこしなど、どんな場所でも実がつくものと思っていましたが、こんな事もあるのですね。芝生を剥がしてしまいましたので、秋野菜(どんな物があるのか、これから勉強します)で、再挑戦します。
それに比べて、本家の農園の収穫量はたいしたものでした。今年の夏は、トマト、きゅうり、なす、ピーマンは全て自給自足だったと、女農園主は嬉しそう。写真左下はある日の収穫です。きゅうり、なすは終わりましたが、トマト、ピーマンはまだ収穫できます。僕も実のところ、本当に驚いています。僅か9畳ほどの小さな市民農園で、これほどの野菜が収穫できるとはSyukaku_320思っていませんでした。農業は素晴らしい。これからも、この小さな農園で、楽しく土に親しみたいと思っています。話は変わりますが昨日、インターネットで長野方面の売別荘などをみていたら、売りペンションが幾つもありました。日本で最初のペンションである綿貫ペンションが、群馬県草津温泉に誕生したのが1969年12月。もう37年前になります。僕も当時、友人達との冬のスキーに、この出来たばかりのペンションを何度か利用しました。懐かしい思い出です。ちなみに現在は息子さんご夫婦と、イタリヤで料理を修行して戻ったその長男ご夫婦が、イタリア料理の店を併設して経営にあたっています。このように2代目、3代目に引き継がれているペンションもありますが、最近のペンション経営の厳しい状況の中で、高齢化や、病気療養の為に、ペンションを閉じて処分するところも多いようです。僕の友人も数年前、長く経営していた黒姫のペンションの営業を終わらせて、売却しました。
売りペンションの話にもどすと、車山高原にこんな売りペンションが出ていたのです。これを購入し、野菜作りをしながら、兄弟、友人、子供達家族が自由に遊んでいける家があっても良いな等と考えたからです。古い建物ですから、後10年使用して、取り壊して、元の草原に戻してやる。でもこれは、野菜作りから派生した、あくまで空想です。しかしどこかで、野菜作りを、もう少し拡大してやってみたいという夢が強くなったのは、今年の市民農園での農作業からでした。

05pe012hr 車山高原の売りペンション

http://www.mitsuinomori.co.jp/navi/tyukai/tateshina/05pe012hr/05pe012hr.html

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2006年8月16日 (水)

ペンタックスME Super-修理できました

Dscn0514_320 5月19日(金)にペンタックスME Superの修理をしたいと書き、その後新宿三井ビルのペンタックスフォーラムのサービスセンターで紹介された東上野の長谷川工作所を訪ねました。サービスセンターで修理不能とされたカメラを、修理してもらえるか不安があったのですが、カメラを少し点検していた長谷川さんから、2000分の1の高速シャッターは使えないが、その他は修理可能ですと嬉しい返事をもらいましたので、その場で時間は幾らかかっても良いから修理してくださいとお願いしました。それから1ヶ月、修理が終わった我がME Superが帰ってきました。
修理個所は、シャッター作動不良の修理・調整、巻き上げ作動不良の部品交換、
オート機構作動不良の修理・調整、外観のモルトプレーン交換、ファインダー清掃などで、部品代1、000円、修理工料12、000円の合計13、000円でした。
修理依頼の時の15、000円の枠内で修理しますといった通りでした。
最近はデジカメを使う事が多いのですが、シャッターボタンを押した時のカチット決まる感触は、フィルムカメラに軍配が挙がります。オートフォーカスのSF7と共に、この30年以上使ったカメラと交換レンズ達を大切に使っていきたいと思います。
Hasegawa 左写真は長谷川工作所

http://tomshome.sakura.ne.jp/index.html 達人のHP 「ME復活応援サイト」
http://www.tctv.ne.jp/members/hasegawa/hasegawa/index.htm 偉大な修理工場、「長谷川工作所」

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2006年8月15日 (火)

室内型墓地の続き

Dainit1_320 永代供養付納骨壇の詳細を東福院パンフレットから、写しました。
「慈悲と戒めの大日如来ご本尊さまのお話」
真言宗では、全ての仏さまは、この大日如来から分身したものとされています。
生きている間は、十二支(干支)の守り本尊として8人の仏さまに変身し、亡くなってからは全ての人の守り本尊として大日如来があるとされています。「大日(おおきなひ)」と読むように、太陽の光が日々私たちの上にさんさんと照り輝くように、智恵と慈悲の光明を照らし続けておられる仏さまです。
優しく、気立ての良い人には観音さまのお姿で現れ、さらに幸せをもたらし、言うことを聞かない人や、悪口ばかり言っている人には、お不動さまのお姿で現れ、戒めてくれます。大日如来はマンダラの中心に描かれており、別名「遍照金剛」ともいいます。大日如来に呼びかける時は「おん ばさら だとばん」と真言(唱える文句)を唱えます。

 個別室:  納骨室と祭壇を中扉(鍵付)にて仕切られ、祭壇に大日如来像とお位牌が祀られます。
 宗旨・宗派:  以前の宗派は問いません。お申込み以降は当山の教義、新義真言宗を尊重し、その形式によるご供養を執り行います。
 永代供養:  初七日~三十三回忌までの法要。三十三回忌以降、聖観音像がお守りする供養搭に合祀し、さらに永代にご供養されます。なおお2人用は2人目の三十三回忌以後となります。
 合同供養:  お彼岸・お盆・各年回忌法要を毎月の供養祭でご供養されます。
 戒名:  加入されたすべての方に真言宗の戒名(信士・信女)を授与いたします。戒名は原則としてご本人がご逝去されたとき授与いたします。
 お位牌:加入された方に、授与いたします。
 ご本尊像:  大日如来像を個別室1基に1像授与いたします。
 開眼法要:  お位牌、ご本尊の開眼法要。
 納骨法要:  加入者がご逝去された後、納骨の際の法要。
 費用:   年会費・管理費、その他一切の諸費用は不用です。
 

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室内型墓地ー四谷東福院

Ag15_001_320 お盆なので、墓地の事です。
7月14日に「さようなら文化放送」で、四谷東福院の事を書きました。
この東福院に、都市型個別納骨壇があります。最近多い室内マンション型墓地です。テレビで梅宮 辰夫夫妻によるコマーシャル放送がされていました。少子化、未婚者が増える現代において、お墓の問題は生前に考える必要があります。継承者がいなければ、法事や追善供養も出来ず無縁仏として放置されかねない世相を考え、継承者がいなくても法要などを行ってくれる室内型墓地です。
縁者などが墓参しやすい交通至便な場所にある、この寺院の納骨壇の値段を、参考までにお知らせいたします。
  1人用永代供養料 大日如来像付納骨壇   95万円
  2人用永代供養料 大日如来像付納骨壇  200万円

Ag14_001_512 Ag14_002_512 守りご本尊付個別室全体
 右は個別室詳細
 

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2006年8月12日 (土)

ふたつの兵舎建築

6rentai_320_1  愛知県の明治村に、名古屋城内に1873年(明治6年)に建築された木造2階建ての兵舎が移築(昭和40年)されています。旧陸軍第三師団歩兵第六連隊の兵舎でした。(写真左上
これと、そっくりの兵舎建築を仙台で見学しました。現在は仙台市歴史民族資料館となっていますが、1874年(明治7年)に建築された旧陸軍第二師団歩兵第四連隊の兵舎でした。(写真左下宮城県の現存する最古の洋風木造建築物で、県の有形文化財に指定されていHeisya1_320_2 ます。瓦葺寄棟造り、木造2階建で、外壁は漆喰塗りの大壁、建物角隅にはコーナーストーンが貼られ、ガラス入りの上下窓、出入り口のポーチには洋風円柱を有するなどの特徴があります。
修復保存状態は、明治村の兵舎に比べて、格段に良く、外観など新築建物かと思わせるほどでした。これと比べると明治村の旧第四連隊兵舎は、コーナーストーンが無いなど見劣りもするのですが、保存状態はあまり良くありません。
日本に残る最古の洋風木造住宅建築としては、1863年に建築された長崎のグラバー邸(国の重要文化財)が有名ですが、それより10年後には、名古屋、仙台とかなり離れた場所で、外部、内部ともに兵舎建築の基準に沿った建物が建築されている事に驚かされます。ディテールなどもよく揃っていますので、図面指示の正確な事と、建築にあたった日本人棟梁が優秀だったのでしょう。
 兵士用寝台Sindai3_512_1          Sindai4_512_1      銃床       雲型彫刻階段      Zyusyou_512_1   Kaidan2_512_1                             

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2006年8月11日 (金)

その後の新日本製鉄と日本郵船ー株式

 6月21日に、あまりに低すぎる定期預金利息との比較で、株式配当の有利性を書きました。その際特に高配当ではないのですが、東証一部上場銘柄で、名前の知られた企業として新日本製鉄日本郵船の2社をあげました。当時株価の下落で、配当利回りがかなり高利回りになっていたからです。あれから約50日、この2社の株価はどうなったでしょうか。日経平均も上昇したとはいえ、やはり一流企業の高配当は見逃されませんでした。新日本製鉄が399円から71円高の470円、配当利回りも2%を切って1.91%、日本郵船が714円から45円高の759円、配当利回りはそれでも2.37%はあります。しかし今の株価上昇の状況では、特に高配当の優良企業として挙げるほどではないと思います。高配当の優良企業の株は、市況全体のの流れの中で引きずられたような株価下落時に購入して、持っていても配当時に思い出すくらいが良いのです。前回も株式投資を奨めるもので無い事は書きましたが、どうしてもと考える人がいましたら今の株価での購入は考え物です。アメリカ経済の失速、ガソリン価格高騰、地域紛争など、これからの株式市況は荒れそうですし、ファンド、一部証券会社等の動きなども、一般投資家にとって好ましい状況ではありません。
銀行預金との比較で、この2社を挙げましたので、今日は一応締めくくりとして書いておきます。今後のこの2社の株価がどうなるか読めませんが、それでも配当が3%になるような株価下落は無いと考えます。

  5401新日本製鉄(株)
  企業情報 http://profile.yahoo.co.jp/biz/fundamental/5401.html
 
  6月20日の終値 399円
 1株配当  年9円    1000株購入資金 399、000円
    配当 年9000円  配当利回り 年2.26パーセント
  
  8月20日の終値 470円
 1株配当  年9円    1000株購入資金 470、000円
    配当 年9000円  配当利回り 年1.91パーセント

 9101日本郵船(株)
  企業情報 http://profile.yahoo.co.jp/biz/fundamental/9101.html
  
  6月20日の終値 714円
 1株配当  年18円    1000株購入資金 714、000円
    配当 年18、000円 配当利回り 年2.56パーセント
    
  8月11日の終値 759円
 1株配当  年18円    1000株購入資金 759、000円
    配当 年18、000円 配当利回り 年2.37パーセント
    その他株主優待として、豪華客船飛鳥の10%割引券など

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2006年8月10日 (木)

仙台七夕祭

Sendai1_320  所用で仙台に行きました。仙台は、市をあげて七夕モード。ホテルも観光客で満員です。こちらも滞在を伸ばして始めての仙台七夕祭りを楽しんできました。5日(土)は西公園一帯を会場に前夜祭の花火祭りから始まりました。広瀬川の上空で咲く一万六千発の花火が開幕ムードを盛り上げます。翌日からの市内は、祭り一色。大型バスが次々にツアーの観光客を運んできます。アーケードの天井から下がるいろとりどりの豪華な竹飾りと、商店街の賑わい、そして200万人の人出には圧倒されました。夜は巾46mSendai2_320 の定禅寺大通りで行なわれた、華やかな星の宵まつりのパフォーマンスを見物しました。8日の最終日のフィナーレは、出演者も見物客も一緒になって童謡「たなばたさま」を大合唱して、3日間の祭りは終わりました。さすが仙台七夕祭りは日本一、そのスケールの大きさに驚きました。まあ、一度体験すれば良いと思いましたが、ともかく東北三大祭のひとつを充分楽しみました。惜しむらくは、退院直後の身体、「牛タン」もアルコールも横目で見るしかなかったのです。「かまぼSendai3_320 こ」と「萩の月」はしっかりと食べました。

                                       

Sendai4_320                         

左は七夕飾り金賞受賞作

Sendai5_320

Sendai6_320  七夕飾り七点セット

Sendai7_320

Sendai8_320  

Hosi1_320

星の宵祭りパフォーマンスHosi2_320

Hosi3_320  たいまつ行進は陸上自衛隊                                     

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2006年8月 3日 (木)

内視鏡検査

Ag03_001_320  入院中に腸と胃の内視鏡検査を受けました。胃カメラ検査は10数年前に人間ドッグで要検査を指示されて、経験した事がありました。
その際、知人より最も楽に検査をしてくれる技術力ある病院として紹介されたのが、今回入院した平塚胃腸病院だったのです。
胃の内視鏡検査は、前回以上に簡単、カメラを呑むといった抵抗感さえ感じる間もなく終了しました。異常無しでした。
でも大腸癌の発見、治療に効果的な腸の内視鏡検査は初体験です。
この検査は、検査前日に入院し、翌日検査して帰宅するのが普通でしたが、最近はこの病院でも日帰りでの検査も多いようです。
どうなる事かと思いましたが、案ずるほどの事もなく無事終了しました。
僕は入院中の検査でしたが、手順は日帰りでも、ほとんど同じようです。前日の夜、20時以後は食事、水は禁止です。
朝、検査専用の紙製のパジャマ状の服に着替えます。お尻に穴が開いている変なパンツです。それから先ず2リットルの下剤を飲みます。スポーツ飲料のような味ですが、さすがにこれを1時間で飲み干すのは結構きつい。下剤を飲んだのですから、当然トイレに何度も行く事になります。
2、3時間の間に7、8回のトイレ通いをして、腸内に残滓物が無くなった事が確認されると、いよいよ検査です。浅い麻酔をかけてもらい、なんだかうとうとしている間にあっけなく検査終了でした。カメラの挿入時間は約10分間程度のようでした。人により腸の様子が違いますので、このへんが、検査する医師の技術の優劣が関係してくるようです。内視鏡検査は、習熟した医師により、浅い麻酔をかけた状態で行うのが大切な事と教えてもらいました。僕の場合、腸内の炎症とは別に、小さなポリープが2個発見され、数年以内に内視鏡により、切除した方が良いと診断されました。今回で内視鏡を恐れる事は無い事がわかりましたので、時間のある時に切除してもらう事にしました。癌になると怖いですから。
写真は、恥ずかしながら我輩の腹の中です。右下の写真にポリープが見えます。写真では大きく見えますが、直径2mm程度です。他の3枚は腸内の炎症の様子。右下の正常な部分と比較するとひどい炎症がよくわかります。
今後は同じ過ちは、しないように心掛けます。
病後の身体ですが、前からの予定があり、明日から仙台に行きますので、またしてもブログを休みます。8日に戻りますので、仙台七夕祭りの様子なども書けると思います。
それと、前に書いた石垣島のウミガメの123個の卵が7月23日に孵化して、ほとんどの子ウミガメ達が海へ帰ったとの事です。良かったな。石垣の友人から何か情報が得られましたら、また書きます。
ともかく、産卵場所を明かにして保護すると、盗掘されて卵を持って行かれるし、秘密にすると、海水浴客が誤まって蹴飛ばしてしまったり、犬が掘ったりするなど大変な苦労があったようです。どういう保護が良いのか、これからの課題のようです。四国などには町ぐるみで保護に取り組み、観光にも役立てている所もありますが、石垣の海はまだ、自然のままです。
それでは、また。 
    平塚胃腸病院HP    http://ichou.gr.jp/
    内視鏡の事がよくわかるHP http://naisikyou.com/

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2006年8月 2日 (水)

入院していましたー平塚胃腸病院

Dscn0442_320

Dscn0443_320_2 11日間の入院から、昨日退院しました。突然見まわれた病名は、感染性腸炎。
最初の4日間は、点滴だけでただベッドに横になっていました。病状も良く なってきたので、この際だからと、内視鏡により、腸と胃の検査をしまた。
かなりひどかった腸炎も納まり、経過も良くやっと昨日の退院となった次第です。点滴とおかゆの毎日でしたから、体調が元に戻るには少し時間が必要です。健康管理の出来なかった自分を責めなくてはいけません。
池袋の平塚胃腸病院の医師と看護スタッフの皆さんに感謝します。素晴らしいチームワークで、最高の治療を受ける事が出来ました。
写真は毎日、見上げていた点滴パックと、窓から見えた池袋の景色です。
入院後半は、歯を良く磨き、空ばかり見ていたので、視力も少し良くなりました。胃も腸も血管もきれいになり、体のオーバーホールをしたと思っています。
「暇な奴ほど、歯が白い」
また、拙いブログを書いていくことにします。

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