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2006年7月19日 (水)

定年後も仕事を続けるとー年金知識

 年金を受給している友人から、再度、厚生年金に加入して働くと、年金はどうなるか知っているかと聞かれました。以前調べた事を話しましたが、確認のため、少し勉強しました。
企業に定年後の継続雇用制度の導入で再就労すると、支払われるべき年金がどのくらい減額されるのでしょう。別に同じ企業でなくとも、再び厚生年金に加入して就労する場合も同じです。
60歳~65歳未満の人の場合、以前は老齢厚生年金を受給している人が再度厚生年金に加入して働くと、在職老齢年金となり、年金が2割減額されました。
これが2005年4月から、一律2割減額は廃止され、受領している年金月額(老齢厚生年金から、加給年金額を引いた月額)と、再就労による給与(ボーナスも含む年間給与総額を12で割ったもの)の合計が28万円までは一切減額しない事になりました。28万円を越えると、越えた額の2分の1が年金から減額される事になりました。
仮に友人をA君とします。A君は60歳で年金月額15万円です。仕事について得る給与は31万円です。62歳までは、年金月額と給与の合計が46万円です。(昇給無しの場合)
この場合、28万円を越えた額、すなわち18万円の2分の1の9万円が減額となり、
在職老齢年金は6万円になります。給与と年金で月額37万円です。
それなら、仕事を楽にして給料を20万円としたら年金月額と給与の合計が35万円です。28万円を越えた額7万円の2分の1の3.5万円が減額となり、在職老齢年金は11.5万円になります。給与と年金で31.5万円です。こちらの方が得かなとも思いますが、給料が少し安くても良いから仕事が楽だなどの方程式を成立させてくれないのが、社会の現実です。また、仕事を続ける以上、社会保険、厚生年金などの差し引きがありますから、手取額は少なくなります。
A君は63歳になると年金額が増額されます。計算が違ってくるのですが、現在のところは、ここまでとします。尚給料を月額48万円以上貰った場合は、また計算式が異なります。年金に加入しないで働く場合や、年金に加入しなくてはいけないのに、未加入で仕事をする場合などについては、また書きます。
A君の63歳以降は置くとして、70歳になったとします。現在は働いていても70歳になれば厚生年金の被保険者では無くなり、在職老齢年金は適用外となり、年金は全額支給されます。しかし、2007年4月からは、70歳以上の年金受給者にも在職老齢年金が適用されて、減額されます。これも構造改革のひとつです。
高齢者の住民税増額、介護保険の改悪、医療費負担の増額、生活保護世帯の
医療費負担、所得税の老年者控除廃止、公的年金等の控除縮小、挙げたらきりがありません。「構造改革」の名のもとに、社会保障費の削減が多くの国民を苦しめています。いけない、また脱線しました。今日はおとなしく年金の話でした。
しかし、弱者切り捨ての施政を、少しずつでも改めてゆく方向を探り、勉強して書いてゆくつもりです。夕張市などの地方財政の破綻の真実も書いてゆきたいと思っています
夕張市だけでなく、日本が財政破綻の危機的な道を歩んでいます。心有る官僚は、皆知っているのです。最後にいつも出てくることば「背に腹はかえられない」 これで増税はやむをえないという論理に持ちこむことは許されません。歳出を切り詰めてゆけば、大変だ、なんとかやめて欲しいという声と共に、増税やむなしの世論がわくと思っていたら大きな間違いです。
それでなくとも制度の見直しなどと、厳しい局面に立たされている生活保護世帯に1割の医療費負担をさせるのですか。貧しい人達から介護保険の適用見直しで、ベッド,車椅子を取り上げるつもりですか。
05年の国勢調査で65歳以上の高齢者の働く割合が、他の先進国諸国に比べ飛びぬけて高いという調査結果が出ました。
 日本    22.2%
 フランス  1.2%
 ドイツ    2.9%
 イタリア  3.4%
 カナダ   7.7%
 アメリカ  14.4% 
日本人は、働く事に生きがいを求め、それが美徳と考える国民だからで、すまされるでしょうか。
今日は、ここまで。長い文章を読んで頂きありがとうございました。

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2006年7月18日 (火)

これは細い

B11_320  7月1日に、「びっくりビル」と題して根岸の三角形ビルの事を書いたところ、友人から、「もっとすごい」と題したメールが届きました。写真を見てびっくり。なんとも細い。入口側の巾は1.2mくらい、奥の壁でも3.6mくらいでしょうか。所在はびっくりビルに近いのですが、住所は北区になるそうです。これは見に行かねばと思いました。しかし毎日、雨ばかり、少し先になりそうです。
昔は三角形の狭い敷地は、不動産価値は低かったのですが、建築家の設計になる敷地条件を生かしたユニークな建物が知られるようになると、状況は変わりました。かなり不動産屋さんが強気になり、いまでは出物敷地と呼べるような、割安物件はほとんど出ません。
しかし、このビルは三角形というより、ほとんど板です。住宅のようですが、どんな平面構成なのでしょうか。細いビルは、幾つも知っていますが、これは見に行くのが楽しみです。
B21_512 ←板のような細さが良くわかります。
B31_512 ←ここを入り口にしたのが上手い。

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超ミニ

Minino1_320 7月6日に、市民農園を借りた我家の家庭菜園について書きました。その後の収穫も順調で、新鮮野菜が食卓に上っています。今日はビールのつまみの枝豆まで登場しました。しかし、僕がどんなに手伝おうとも、農園は女主人(家内)の物。それなら自分も農園主になってやろうと、庭の芝生を60cm角ほど開墾して、分家ミニミニ農園を作ってみました。これ以上大きいと、失敗した時の芝の修復が面倒です。名付けて「ファームBOKUNDA
とうもろこし4本が育っています。しかし、本家農園にに比べるとなんとも、育ちが悪い。肥料は、本家のあまりを充分過ぎるほど与えてあるので、結局土作りの差でしょうか。どんな荒地でも育つと思ったとうもろこしが、土によって優劣がつくのは以外です。後はほめ育てしかないと、毎日、君はすごい、これからどんどん大きくなるぞと声をかけています。
何かの本で、カイワレ大根だったかを、ふたつの容器で栽培し、毎日片方には、誉め言葉、もう片方には、考えつく限りの悪口雑言をかけ続けたら誉めたほうが成長が早く、言葉で傷めつけた方は途中で枯れてしまったと、写真つきで記事が出ていました。そう子供は誉めてやらなくては
写真下は、本家農園のとうもろこしです。もう実がついて、鳥除けネットまでつけています。これに比べると?。はたして僕の農園に収穫の喜びの日が来るのでしょうか。たかがとうもろこし、されどとうもろこし。                  つづくーーー
Toumor1_512

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2006年7月17日 (月)

風雪の北鎌尾根ー無線機

Musenn1_128  僕が山で使用しているアマチュア無線トランシーバーです。右がまだ現役ですが10年ほど前の物、左が最近の物です。超小型軽量、重量132g、ワイシャツの胸ポケットに入る大きさですが、送信出力は1.5wの高性能機です。10年前にこのサイズはありませんでした。どちらも144MHZ/430MHZデュアルバンドトランシーバです。山岳地帯でも携帯電話が使用できる範囲が広がっていますが、緊急通信用にトランシーバーは携帯していると安心です。登山届にも携帯しているトランシーバーの周波数バンドを記入する事になっています。
昔は、アマチュア無線の小型トランシーバーなど入手できませんでしたから、無線機の届出さえすれば誰でも使用可能なCBトランシーバーが使われました。もちろん現在の144MHZ/430MHZのトランシーバーと比べたら、通話可能距離はずっと短距離ですが、誰でも簡単に使用できたので、パーティ間の連絡などに今以上に積極的に使用されていました。その頃の話2題です。
5月の北アルプス涸沢(からさわ)合宿の時の事です。10時、12時、15時などの正時になると、合宿中の大学、社会人、会社山岳部のベースキャンプと、登攀パーテイとの定時連絡がいっせいに始まります。たいした内容ではなく、今どこにいるとか、誰それがばてて(疲れて)いるなどの会話がほとんどです。中にはテントキーパーの新人からの、「餅が見つかりません、どこに入れましたか?」、「こちら涸沢槍東稜、馬鹿良く探せ!」などの通話までしていました。ところが当時(40年以上前)のトランシーバーは1chしかないので、誰もが同じ周波数でいっせいに交信するものですからすさまじい混信でまともな会話になりません。声がでかいほうが有利でした。そこで、各山岳部代表が集まって、時間の割り振りです。
12時5分は、A山岳部、10分はB山岳部といった具合です。これでなんとか交信が出来るようになったのですが、後から入山してくるパーティがまた割り込んでくる。なんとも騒がしかったが、懐かしい交信の思いでです。

次は冬の北鎌尾根での事です。北鎌尾根稜線のベースキャンプから、小パーティで槍ヶ岳往復アタックをしました。全てソニー製トランシーバで連絡を取ります。1次パーティは、天候にも恵まれ、途中ビバーク一回で、下山中との連絡、すぐに2次パーティが出発し途中で、登攀用具の引継ぎをします。2次パーティもその夜は快適なビバークの筈でした。しかしその夜から風雪が強くなりました。天気予報より、早く天候悪化です。朝のトランシーバーでの連絡で、退却が指示されましたが、ザイルが風で上空に巻き上げられるほどの烈風です。トランシーバーも交信不能となりました。2次パーティは視界も悪い中、危険な下山より槍頂上を越して槍の冬季小屋に入る事に決定し、登攀を続行しました。ベースキャンプでは、懸命に交信を試みましたが、全くつながらず。2次パーティは無事にビバークしているのか、なにかアクシデントがあったのか、不安な夜を過ごしました。当時のトランシーバーは送信出力僅か100mwですし、低温で電池も性能低下です。次の朝、テントから外に出て、何度も呼びかけますが交信できません。風雪の中、岩場を移動して交信します。その時かすかに「こちら、槍の冬季小屋に入った。北鎌下山は無理、上高地経由で、そちらに戻る」風雪の中、たった一回の交信成功です。良かった、生きていた。あの時ほど、トランシーバーのありがたみを知らされた事はありませんでした。べースキャンプも脱出不可能になる前に、即撤退決定、風雪の中の長い下山。そして冬の北鎌尾根が終わりました。
写真下は、当時使用していたものより7~8年後の型ですが、2ch周波数タイプのソニー製CBトトランシーバーです。
Sonymu1_512

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2006年7月14日 (金)

さようなら文化放送ー四谷

Dscn0435_320  昨日は、盆の入り。四谷の東福院に母の墓参に行きました。この東福院の前が写真の文化放送社屋です。見ると正面の外壁に垂れ幕が下がっていました。そうか、移転するんだったと気づきました。文化放送といえば、四谷でしたが、今月末、浜松町の新社屋に移転します。
現文化放送社屋のこのビルは、聖パウロ修道会がカトリックの布教を目的にした放送局を設置するために1951年に建設し、社屋内には聖堂もありました。ここから1952年3月に 民間放送としては全国9番目、東京で2番目の本放送が開始されました。現文化放送の前身です。ちなみに東京では1951年12月にラジオ東京(現TBS)が最初に電波を出しています。(覚えています、NHKしか聞こえなかった並4ラジオから、試験電波を発射中ですーJOQRと聞こえた感動を)1956年に聖パウロ修道会は経営を、株式会社文化放送に譲りました。旺文社が大株主であった為、教育番組の百万人の英語や、大学受験ラジオ講座などを聞いたことがある人も多いことでしょう。この四谷からの最後の放送日の7月23日には、小倉智昭が司会の「さよなら四谷スペシャル」を放送、浜松町に移転した7月24日には、新社屋での放送開始の第一声として、「吉田照美のやる気MANMAN!」からになることが決定されているそうです。

移転後にこの記念すべき建物は、非常に残念ですが取り壊しが決まっていますので、四谷社屋のお別れの写真を撮ってから、サントリーホールに日本フィルの定期演奏会を聞きに行きました。偶然とはいえ、今年設立50年の記念の年を迎えた日本フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)こそ、1956年に文化放送が設立した交響楽団だったのです。その後財団法人となって、フジテレビと文化放送の放送料によって運営されてきましたが1972年6月に両社はオーケストラの解散と楽団員全員の解雇を通告、放送料もを打ち切りとなり、財団も解散することになったのです。ここからが有名な日フィル争議といわれる、日本フィルの激動の歴史ですが、これについては書きたいことが沢山ありますので、別の機会に書きます。
演奏会は第582回の定期演奏会で、沼尻竜典指揮、ラヴェル作曲バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲他で、いつもながらの素晴らしい演奏会でした。好きなホールと好きな指揮者では、途中で居眠りなどしません。サントリーホールの背面席での、演奏中の居眠りはすごく目立ちます。演奏を聞くと眠りたくなる方は、絶対に背面席(指揮者対面)は購入しないでください。

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ブログ再開ー花の名前から

Dscn0433_512 Niftyココログサイトが、修復できたようで書きこみが出来るようになりました。また、毎日更新します。
今日はブログ100回記念の花の名を、調べましたので先ずはここからスタートさせていただきます。ヤナセユリと名付けた上の写真の花は
   和名 ヤブカンゾウ  ユリ科ワスレグサ属
Dscn0434_512 野原の溝や堤のそばにはえる多年草 中国ではこの花を見て憂いを忘      れるという故事があるそうです。 ユリ科だけあっていました。

ヤナセキバナと馬鹿な名をつけた下の写真は
ハルシャギク   キク科   コレオプシス属 
古くから園芸植物として栽培され、しばしば野生化して大群落を作るそうです。

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2006年7月 7日 (金)

柳瀬川の花ーブログ100回記念

Dscn0433_320 今日で、ブログの記事が100回目になりました。毎日更新を原則に、勝手に書いてきた拙い文をお読み頂きありがとうございます。なんとか、次は200回を目指したいと思います。
100回目なので、今日の柳瀬川の土手の花で、自分をお祝いさせていただきます。
急ぎ写真を撮って来たのですが、花の名前がわかりません。後で調べて書きます。
とりあえず、上の写真がヤナセユリ、下の写真をヤナセキバナと命名しておきます。ヤナセキバナは土手に、群生していDscn0434_320ますが、ヤナセユリは、2kmの距離に 5、6箇所しか咲いていない花です。実際には名前を知らない事が、恥ずかしいくらいの、皆が知っている野草なのでしょうね。
今日から、長野方面に出かけますので、2日間ほど、ブログは休みます。帰りましたら、信州の高原や温泉の事などを書きます。
それと、NIFTYのブログサイトのココログへのアクセスが、夜間には、出来難い状況が続いています。7月11日~13日には、緊急メンテナンスでアクセスできなくなります。毎日の更新が、難しいかも知れません。

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2006年7月 6日 (木)

今日の収穫

Yasai_320  写真は、我家の農園の今日の収穫です。5月から市民農園を借りています。家内の希望で、市民農園の抽選に参加したところ、3年の期限で借りる事が出来たのです。広さ約15㎡、畳9畳ほどです。市役所の担当者からの説明を聞いて、マニュアルどうり先ずは土作りから始めました。ところが、周りではすぐに苗を植え、種をまく人達が多く、完全に取り残されました。しかも皆、素人とは思えない手馴れた農作業ぶり。我家はといえば、農園主は家内、僕は力仕事のみ請負う約束で、野菜作りなどやった事はありません。
ともかくあっちを見たり、こっちで聞いたり、ど素人との我々はうろうろしながらも、ともかく土作りに3週間かけました。その努力が今、報われました。なす、きゅうり、トマト、インゲン、ピーマン、とうもろこし、ラディシュ、小松菜、枝豆、が嬉しいほど、育ちました。周りの農園にもひけを取らないと自負しています。今日でもう何度目かの収穫です。もちろん有機栽培、無農薬です。僕は力仕事だけのつもりが、芽が出て、枝が伸び、実がつきだすと、なんとも可愛く、今では家内に笑われながらも、農業にはまっています。
最近では田舎に移住して、自給自足程度の農業も良いなと、冗談ながら家内と話したりするまでになりました。
最近訪ねた北海道の下川町は林業、長野県の望月町は農業、それぞれやってみたい人達を積極的に受け入れています。そして着実に変化もおきています。先日テレビで、離農したり、高齢で農業が続けられなくなった農地を、若者達が借りうけて大規模農園に転換する試みをドキュメントしていました。農園では、小松菜だけに絞り、年に7回の収穫をして、実績を挙げている様子が報告されていました。下川町や望月町の様子を見るにつけ、日本の農業、林業は20年後くらい先には、案外明るい展望が見えてくるかもしれないと思うようになりました。僕は、家内が始めた小さな農園から、農業や林業への関心を今まで以上に持つようになりました。
ところで、我家の野菜作りのバイブルを、お教えします。写真の本です。この本が無かったら、素人1年目の野菜作りは、旨くいかなかったと言い切れます。
 Sankou1_512          
  「よくある失敗」と「対策」がわかる野菜づくり
      著者 藤田 智   発行 日本文芸社  定価 1300円

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2006年7月 5日 (水)

テポドン2号の発射

ブログを書き始めてから、ニュース報道を聞いてそれを自分なりに考察する事が多くなりました。今日のテポドン2号についても、考えてみました。ちなみにテポドンとは、弾道ミサイルの存在が最初に確認された北朝鮮東部の地名、大浦洞(テポドン)から米国が付けたコードネームだそうです。北朝鮮では、正式になんと命名しているのか報道されませんが、1998年8月31日に発射され、日本上空を飛び越えたテポドン1号は「白頭山1号」と呼ばれていたようです。白頭山は北朝鮮と中国国境の標高2774mの世界100名山です。日本でいえば富士山でしょうか。日本では人口衛星打ち上げ用のロケットに富士山1号とは名付けないでしょう。打ち上げ失敗、自爆したロケット名が日本のシンボル富士山では、ちょっと困ります。
テポドン2号を含むミサイルは6発+1発発射されたようです。ロシア筋の情報では10発説も有るようです。どちらにしろ、3発目が本命のテポドン2号との事ですから、他のミサイルとの関係を推理してみました。
まず、発射日程は、7月4日のアメリカ独立記念日に照準を合わせたような気がします。ともかく、アメリカに何らかの行動をとってもらいたいわけですから。
発射時間は次のような時間です。
  1.  3.32
  2.  4.04
  3.  4.59 これがテポドン2号らしい
  4.  7.13
  5.  7.30
  6.  8.17
  7. 17.20
テポドン2号の前の2発は、迎撃体制などの撹乱、情報収集用、3発目が本命。
しかし、何らかのトラブルで、予定の飛行が出来なかった。これが発射成功であれば、後続の発射は無かった。本命が失敗したので、ここで発射を止めると、いかにも失敗が目立つ。今後の弾道ミサイル商談にも響く。そこで、残りの3発を発射して、なんとなくカムフラージュした。アメリカ筋の情報で、テポドン2号は、発射後トラブルが有り、空中で爆破されたというのは、ニュースの続報が無いので誤報のような気がします。多数のミサイルを発射した事について、日本、韓国、米国への挑戦、国内に向けては戦争の危機をあおる事による引き締めという見方があります。それ以外の何かを今、考えています。それでは、テポドン2号はどこまで飛ばすつもりだったのか。他の5発とは、日本海の落下地点がややずれていますので、ここで思いきって仮説です。テポドン1号と同じく、日本上空を越えて太平洋に落とす筈だった。
他の短距離弾道ミサイル、「スカッド」や「ノドン」と同じ場所に落としては、長距離弾道ミサイルの発射の意味が無い。燃料注入をを減らして、わざと距離を短くした、単なる発射実験とは考え難いのです。
それでは、午後になって発射した、7発目の意味は?。これがわからない。情報収集に、何か足りないものがあったのか。これもこれから,考える事にします。
それでは、北朝鮮にとって、今回のテポドン発射は、成果が有ったか。全くノーでしょう。あまりにも、マイナス要素が強すぎるゆえに、北朝鮮の本意がつかめません。先ほど書いたそれ以外の何かです。これについてはまた書きます。また、日本の制裁封印の解除などの、強硬路線の今後も見守りたいと思います。
アメリカと共同戦略での、ミサイル迎撃体制作りは、日本に莫大な軍事費の支出が求められそうな気がします。ともかく、今回のミサイル発射で、ひとつヒューズが飛んだようです。

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2006年7月 4日 (火)

ハマナレイクー再生

                0602151_320               数年前の7月に、小さな植木鉢のハマナレイクを買いました。毎年同じ頃にきれいなピンクの花が咲いていましたが、昨年暮に全ての葉が黄色くなって落ちてしまいました。枯れたのかと思っていたら、今年の2月頃から、葉の一枚も無い枝から、今まで見たことが無いほどの花をつけました。約1ヶ月ほど、冬の室内を華やかにして、楽しませてくれた後、枝もほとんど枯れ、ポキンと折れる状態になりました。
ハマナレイクについて、インターネットで検索しても、この状態が何を表すか、わかりませんでした。ほとんど枯れ枝の状態になってしまったので、鉢から取り出して庭に植え替えてみました。あきらめてはいたのですが、5月になって、枯れDscn0420_320_2枝の間から、沢山の緑の葉が芽を出しました。見事再生です。もちろん、今年の7月には花は咲きそうにありませんが、また鉢に戻して、来年咲いてくれる事を楽しみにしようと思っています。鉢は3個ほどに分ける事が出来そうです。ところで、このハマナレイクは2月に咲くDNAを持って生まれてきたとしたら、冬咲きなのかとも考えてしまいます。もし、来年の2月頃に咲いたら、また書きます。                    

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青蔵鉄道とチベット

「崑崙、唐古拉、錯那湖。沿線の地名を聞くだけで、どこまでも続く深い青空と万年雪をいただく高山の連なり、それを映す神秘の湖の姿が目に浮かび、わくわくする。中国・青海省のゴルムドとチベット自治区のラサを結ぶ青蔵鉄道が、旅客列車の運転を始めた。全区間1142kmの80%以上が標高4000mを越え、最高地点は5072mだから、航空機並のハイテク車両に、高山病対策の酸素マスクも備えた。車窓から見る景観と、野生動物の姿が、何よりの魅力だ。北京など主要都市から直通列車も走る。」-毎日新聞7月3日朝刊「余禄より」

「朝食後、世界一の標高を走る鉄道・青蔵鉄道の列車にて、チベット自治区ラサに向かいます。青蔵高原を走る車窓から、崑崙山脈、長江源流のトト河、タングラ山脈、ニンチェンタングラ山脈の雄大な景色と遊牧風景をお楽しみ下さい。」-ユーラシア旅行社ツアー情報より

確かにラサにも行きたいし、雄大な景色も眺めてみたいと思います。青蔵鉄道の最高地点の海抜5072mは、富士山山頂より1300mも高い地点です。世界で最も高い標高を走っている鉄道は、南米のチリに有り、、その海抜は4826mです。それをあっさり抜いて世界鉄道最高地点通過です。駅まで有るようです。登山を趣味とする僕は、5000mを汽車で越えるなど、想像しただけで、わくわくします。新聞各紙の報道も、どれも同じ論調で書かれています。
しかし、いろいろな考え方があるでしょうが、僕は、チベットは中国に不当に侵略されている国だと考えています。かって世界の屋根に有る平和な国であったチベットが、1950年に中国軍の侵略にあい、国を略奪された事実は、尊敬する登山家ハインリッヒ・ハラーの「セブン・イヤーズ・イン・チベット」に詳しく書かれています。ブラッド・ピット主演の映画でも、この侵攻場面が描かれています。この映画に対して中国は、撮影を妨害し、以前ブログで書きましたが、作者にもナチとの関係などの過去を暴く工作などで圧力をかけています。中国の進めるチベット民族の浄化などという政策は、受け入れ難いものです。かっての軍国日本が、隣国に対して行った行為を、いまこの国がやっています。この鉄道は、もちろん観光客誘致も有るでしょうが、高額な工事費と、短い工事期間、凍土の安全性などを押して強行した裏には、他民族支配、軍事目的の側面も見逃せません。苦難を強いられているチベットの人達や、亡命政府にとっては、つらい現実でしょう。僕も乗ってみたいし、さりとて抵抗もある複雑な心境です。

http://www.onsenfan.com/bbs/index.htm?uid=tabitabi 青蔵鉄道の写真
http://www.tibethouse.jp/cta/index.html チベット亡命政府、ダライ・ラマ

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2006年7月 2日 (日)

法隆寺宝物館

Houmot1_320  一昨日、東京都国立博物館に行きました。ブログで縄文のヴィーナスの事を書いていて、他の土偶でちょっと調べてみたい事が出来たのです。土偶は重要文化財級が東洋館に多数陳列されています。東洋館の後、法隆寺宝物館に寄りました。国立博物館の中で、最も好きな所です。博物館正門から、左方向に進み、重要文化財の黒門(鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門)横を過ぎると、正面にステンレスの門型の大きなキャノピー(庇)と、大きなガラス面で構成されたシンプルな建物が現れます。前面に池を配して、緊張感のある美しいプロポーションです。
設計は、前に書いた土門拳記念館と同じ、谷口吉生氏です。1999年に開館されました。ちょっとわかり難い入口を入ると、前面の大きなガラス面からの光で、とても明るい気持ちの良いエントランスホールがあります。1階、2階が展示室で、明治11年(1878)に、奈良の法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された7~8世紀の宝物が300件あまり収蔵されています。窓のない1階金銅仏展示室に入ると、暗い照明の中に、一体ごとにガラスケースに入った、観音菩薩立像などの高さ40cmほどの小さな仏像が、浮かび上がるように多数配置されています。館内には6つの展示室がありますが、この金銅仏展示室の持つ不思議な静謐空間に身を置くと、時の立つのを忘れさせてくれます。僕はN165の陳列番号をもつ、菩薩立像がすきです。この像は横から見ると、他の菩薩像にない、細身の美しいプロポーションをしています。そう、時代は全く異なりますが、あの縄文のヴィーナスにどこか共通するところがあります。どうぞN165を探してみてください。
他の展示室も、興味深い宝物が展示されていますが、特に1階の展示室は、幻想的な非日常空間とも思える場所で、お薦めです。
館内には、他に資料室と明るいレストランがあります。
Butuzou 金銅仏展示室(実際は全体照明はもっと暗く、それぞれの仏像が空中に浮かぶように展示されています)

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2006年7月 1日 (土)

びっくりビルー三角形

Hosonaga_320 昨日、根岸の笹乃雪で会合があり出かけました。時間があったので、国立博物館に寄ってから、鶯谷まで行き、笹乃雪近くを、少し歩いていて見つけたビルです。尾久橋通りに面した三角形敷地に建っています。巾2mほどのガラス面が、なんとも人目を引くビルです。この三角部分は階段になっていて、奥は共同住宅でした。手前の自転車と比べて、巾の狭さがよくわかります。設計は苦労したでしょう。でもそれも楽しいかったかな。デザインの悪い看板が邪魔です。

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