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2006年5月10日 (水)

根津から谷中へー番外編

Kyououzi_320_1大日岳遭難事故については、国が控訴しなければ何も書かなかったのですが、控訴が決定したようなので、あえて書きました。
今日は根津から谷中へのそぞろ歩き番外編で、彰義隊と縁のある日暮里の経王寺を書きます。
根津神社から朝倉彫塑館まで歩いて、JR日暮里駅に近い御殿坂まで来ました。ここから左折して谷中ぎんざからよTamaato_320_1みせ通りを経て地下鉄千代田線の千駄木駅まで歩くつもりでしたが、時間も遅くなり右折してJR日暮里駅をゴールに決めました。歩き始めてすぐ左手が経王寺です。1655年に建立された日蓮宗の寺で、山号は大黒山。
本堂隣の大黒堂には日蓮上人が作ったとされる大黒天が鎮守として祀られています。
1866年(慶応4年)5月15日。上野寛永寺に立てこもった幕府軍(彰義隊)に対して午前11時頃、大村益二郎指揮の新政府軍は、薩摩軍が広小路口から、長州軍が谷中.本郷台方面から総攻撃をしかけます。昼頃までは善戦しますが、午後二時には黒門が突破され、彰義隊は次々と敗走します。夕方には事実上戦闘は終了。上野寛永寺は一晩中燃え続けました。この時敗走した彰義隊員を匿ったとされた経王寺は新政府軍の攻撃を受けました。そのとき新政府軍が発砲したとされる弾の跡が今も山門に残されています 。徳川家の禄を食んでいた僕の曽祖父も彰義隊に参加したと伝えられ、北海道で行方不明になってしまいました。
もしかすると、町民姿になってこの寺に逃げ込んだかもしれない。そんな思いがよぎりました。

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