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2006年5月31日 (水)

これもバブルの搭?ー下川町

Kouryu1_320 所用で訪ねた下川町は、北海道北部の名寄市からバスで20分の距離です。面積は、ほぼ東京都の23区を合わせた面積と等しい644.20k㎡ですが、人口は約4000人。ヒグマとキタキツネのほうが多いかな。但し町の面積の90.5%は森林で、うち国有林85%、民有林15%であり、これら森林資源を生かした林業・林産業が町の主産業となっています。気候は、最高気温が30℃以上、最低気温が-30℃前後で年間の温度差が約60℃と、東京では考えられないような寒暖の差の激しい地域です。かつては銅鉱山の街として栄え、15000人の人達が住んでいましたが今では過疎が進みつつあり、人口は約4000人です。しかし市町村合併を良しとせず、独自の町造りを目指してがんばっています。
写真の、なんだこれはと思わせる搭は、町の中心部から、自転車に乗って約15分の桜ヶ丘公園に建っている下川町ふるさと交流館です。設計者は、あの毛綱毅曠(もづな・きこう)さん。釧路市立博物館や釧路市湿原展望資料館など北海道での作品が多い建築家です。展望台としては、急な階段と小さな展望デッキで使用目的に合ってはいないようですし、資料館も良い設計とは言いかねる建物でした。設計側のコンセプトは「下川町の町おこしのきっかけとなるように建てられた資料館。遠い記憶を呼び覚ますようなシンボリックな外観が印象に残ります。」
ただ、バブル終末の1991年竣工でもあり、毛綱毅曠さんに依頼した以上、こんな形状になるのだろうと納得もゆくのですが、林業の町のシンボルでなしに、鋳物の町のシンボルにしたほうが似合いそうです。人口4千人の町が、5億円も出費してこんな搭を建てられたのも、バブル期だったからでしょう。現在は、訪れる人も少なく維持費用の捻出に苦労している様子です。ともかく使っている材料が特殊で補修が難しく、メンテナンスもやり難い。建物デザインと維持管理の両立が難しい建築が多いなか、これなどもその例でしょう。市の担当者は、なんとか自分たちの手で、費用を掛けずに補修していこうと努力していました。
この搭のある桜ヶ丘公園には周囲を囲むように、来園した人達の名前が掘りこまれた石で長さ2kmにも及ぶ万里の長城が完成されていました。延べ10万人以上の人が訪れて記念に名前を書き、それが掘りこまれた石を積んだものです。その上に立つと、遥か彼方まで続く城壁に驚かされます。Simoka1_512  元の町の中心部に戻り、そこから市内循環バスで約10分のところに、公営の五味温泉があります。泉質は炭酸水素塩泉で、飲むとラムネのようです。露天風呂から見た、カラマツの新緑がきれいでした。
(桜ヶ丘公園より下川町全景)

(万里の長城 )
Banrit1_512 (五味温泉) Gomion1_512                                             
 Rotenn1_512( 露天風呂からの眺め)

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2006年5月30日 (火)

花2題ー北海道

Tyurip1_320 所用で北海道名寄市と下川町に行って来ました。観光もしましたので今日は、先ず花2題です。
下川町から、サロマ湖畔の「船長の家」に向う途中で寄った上湧別町のチューリップ公園です。120種類120万本の色鮮やかなチューリップが咲き乱れていました。北海道の花の季節は6月が良いのですが、5月は新緑がとても綺麗ですし、花も咲いています。

      

Sibaza1_320「船長の家」では、まさに驚くべき量のカニ料理を堪能しました。船長の家のHPの写真に偽りはありません。もう当分カニは結構の心境です。これまた海の幸いっぱいの朝食を食べてから、知床峠へ向いました。峠で始めて見る国後島を遠望した後、温根湯温泉へ向う途中で藻琴山温泉芝桜公園に寄りました。小高い丘陵8ヘクタールに広がる、圧倒されるほどの芝桜の群生を見ました。
http://www.muratasystem.or.jp/~saromako/  船長の家HP

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2006年5月24日 (水)

海亀の産卵その2

5月22日に、「海亀の産卵ー石垣島」を書きました。その際、友人から送られた産卵の写真を使用しましたが、公表する際に注意すべき説明を落としていましたので、当日のブログに後から書き加えました。石垣島での産卵はもっと多いものと考えていましたが、西海区水産研究所のHPを読むと年間20頭前後、それが複数回産卵するようで、島全体でも少ないものでした。やはり、海岸付近に夜の照明などが無い場所に産卵は多いようです。この産卵状況を調べたHPは下記のものです。 
   http://www.snf.affrc.go.jp/seika/snf99/snf99004.htm
 
そんな訳で、産卵写真の説明、並びにウミガメに対する取り扱いの注意を、本日再度書いておきます。
「尚、この写真は、海亀保護の許可を得ている人達により慎重に撮影されてものです。一般には海亀の卵を確認する為に、現状に手を加える事は禁止されていますので、ご注意ください。」  

 *ウミガメの捕獲、ウミガメの卵の採取は、一般には法令や条例により禁止されています。
    沖縄県水産課「漁業に関するきまりごと」
http://www.pref.okinawa.jp/suisan/sangogakkou/sangogakkou5.htm
 
*「石垣島ウミガメ研究会は石垣市・八重山漁協の委託により、沖縄県の特別採捕許可を頂いて調査を行っています」
*ウミガメと出会ったり、上陸痕や産卵場を見つけた場合は、すぐに関係機関に連絡をしましょう。
 明日から、所用で北海道に出張しますので,5日間ほど休みます。戻りましたら久しぶりに訪ねた北海道の事などを書きます。

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2006年5月23日 (火)

茂田井宿ー旧中仙道の旅

Dscn0324_320 昨日は、旧中山道の茂田井宿に行きました。茂田井宿は、中山道69次の25宿の望月宿と26宿の芦田宿の間の宿として、両宿の補助的役割を担っていた宿場町でした。前から気になっていて機会があれば訪ねたいと思っていたのです。
上信越自動車道を佐久ICで降りて、国道141号、44号を経て、142号をしばらく走ります。茂田井の信号を左折すると、旧茂田井宿でした。車から降りて、緩やかな坂道の両側に古い集落が続く細い道を歩きました。道が緩く曲がっているので見通しが効かず、次々に現れる豪邸とも呼べる家に驚かされました。江戸時代のままではない建築ですが、長屋門の有る立派な構えの家が多いのです。ほとんど人通りの無い集落〈出会った土地の人は、1人だけでした)を歩いていると、150年くらいタイムスリップしてしまったような錯覚さえ覚えました。国道から少しはなれたこんな場所に、なにかほっとする古い街並みが残っていた。来て良かったなと思いました。街並みの中でもひときわ大きな構えの家が、造り酒屋の大澤酒造で、2階が民族資料館にもなっていたので見学し、帰りに「茂田井宿の酒」「善光寺秘蔵酒」を購入して帰りました。
「5年で温泉100湯入湯」計画のほうも忘れずに、立ち寄りですが望月温泉を加える事が出来ました。
Dscn0318_512 Dscn0322_512          Dscn0323_512

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2006年5月22日 (月)

海亀の産卵ー石垣島米原

Tamago1_320 石垣島の友人より、海亀の産卵の貴重な写真が送られてきました。米原で昨日(21日)の未明に撮影されたものです。全部で123個有ったそうです。通常は100個前後との事ですから、この海亀さん、がんばりました。
石垣島、いや日本全体から見ても、他に得がたいダイビングスポットであり、美しい沖縄の海の自然が残されている石垣島の米原地区に、大和ハウスが13階建てのリゾートホテルを建設すべく、住民や行政側との折衝に入っている事は、4月23日に、「ホテル計画に疑問ー石垣島」で書きました。実は13階建案を見て、僕はこれはダミー案だと直感しました。環境との共生を謳うには、あまりに無理が有る計画だと思ったからです。今年になって大和ハウス側は、これを5階建案に修正したようですが、行政側との関連などは不明です。13階を5階に修正した大幅譲歩の姿勢を、住民、行政側に示したかったのかもしれません。大和ハウスの設計スタッフは始めから13階案などは無理と解っていたと思います。僕は高層ビル、超高層ビルの設計に参加した経験から、この13階案に幾つもの問題点を指摘できます。専門的なことは今は置くとして、初歩的な点を書きます。先ず、13階建ての場合基礎工事が大掛かりなものなり、環境との共生にはマイナス要素となります。ホテルのように客室構成から(海側に部屋を作る為、角柱型にはならずどうしても薄い板状の形状になる)耐震設計に、厳しい風圧力が加味されて、建物の転倒、引き抜き力に対応する為、基礎を深くしなければなりません。次にこれは大和ハウス側も見とめていますが風害です。都市部で、昔からの土地を守り農業を続けている方の悩みは、ビルなどによる日照障害もそうですが、思いもしなかった季節毎に異なる風の変化です。かなり離れているビルでも、その影響に寄りそれまでと違った風向きの変化で低温化したり、日溜りの筈が常に風が流れたりする状況になって、作物生産に微妙な影響が出てしまうのです。このホテルの場合も周辺の自然環境に想定外の影響が出るでしょう。風について云えば、台風時の雨が横殴りに13階建ての壁面に当たり、すさまじい水量となって壁下に流れます。これは台風時に超高層ビルの下にいれば実感できます。壁面が無ければ分散して遠くに飛ぶ雨量がホテル下に集中します。これを貯水せずに短時間のうちに排水しようとすると海岸部に何らかの影響が出ます。長くなりますので、今日はここまでとします。5階建て修正案以後の動きは、あまり無いと聞いていますので今後の状況を見守りたいと思います。
さて、海亀の卵の本題です。前回も書きましたが米原での海亀の産卵に否定的、もしくは事実を認めたくない論調を展開しているHPがあります。                       双方の活動報告という建て前のHP     http://blog.livedoor.jp/yoneharanews/

「このサイトは自然でロハスな石垣島の米原地区に起きた、自然との共生(symbiosis)ホテルの建設にともなう賛成派と反対派との活動状況を、正しく伝えることを目的としています。」と云いつつかなり、いやだいぶ建設計画者である
大和ハウス 側に立った論旨を書きつづけているブログです。こういった発信者が不詳のままで、謝った情報操作をする者はその影響も大きいので問題です。
この手合いは大規模開発、公害問題、原子力発電所建設、不急不用な公共工事、環境破壊(林道建設など)などの場合も必ず現れて最終的には消えてしまいます。今後のホテル建設に疑義を唱えてゆく運動には、建設推進を図る人達の論点や論旨を少しづつでも看破する事実を積み重ねていく事が大切だと思います。そういった意味で、海亀に嫌われている米原の海岸と信じたい人達に、海亀はいつも来ていますよ、今年も産卵しましたというこの写真の伝える真実は重いものです。123個の海亀の卵は、60日位で孵化し、その間、専門家が暖かく見守って対処するようです。可愛い子亀君たちが皆無事に海に戻れることを祈ります。
Umigam1_512 産卵した親亀Kameisi_512                                   
慎重に埋め戻された卵                    尚、この写真は、海亀保護の許可を得ている人達により慎重に撮影されてものです。一般には海亀の卵を確認する為に、現状に手を加える事は禁止されていますので、ご注意ください。  

 *ウミガメの捕獲、ウミガメの卵の採取は、一般には法令や条例により禁止されています。
    沖縄県水産課「漁業に関するきまりごと」
http://www.pref.okinawa.jp/suisan/sangogakkou/sangogakkou5.htm
*「石垣島ウミガメ研究会は石垣市・八重山漁協の委託により、沖縄県の特別採捕許可を頂いて調査を行っています」
*ウミガメと出会ったり、上陸痕や産卵場を見つけた場合は、すぐに関係機関に連絡をしましょう。
                                

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2006年5月21日 (日)

明治の建物2軒

Murayama_512 先日、「根津から谷中へ」で下町風俗資料館付設展示場の吉田屋酒店の建物について書きました。我が志木市にも明治の建物は幾つも現存していますので、張り合うわけでは有りませんが、今日は二軒の商家建築を紹介します。
先ず、「旧村山快哉堂」。谷中の吉田屋酒店よりだいぶ古い明治10年(1877)に志木・本町通りに面して建てられた土蔵づくりの、薬屋業を営んでいた店蔵が、志木市役所前の親水公園に平成13年に移築されました。詳しい説明は「旧村山快哉堂」で検索すると幾つも見つかりますので、ここでは省略します。土曜、日曜、月曜日には開館されて、市民ボランティアの方が、来館者に説明してくれます。昨日、訪ねましたら、見学者にお茶のサービスまでして頂きました。ところで吉田屋酒店には、現代のシャッターに似た上げ下げ式の揚戸が有りました。ここにも板戸は現存していませんが、同じ形式と思われる揚戸の縦柱と縦溝及び上げた板戸を固定したと思われる鉄製の埋めこみ金具が残っていました。多分取り外し式の中柱も有ったと思われます。もし建築当初から設けられていたとすると、興味深いことです。これは吉田屋酒店を見学していなかったら、多分気づかなかったでしょう。明治26年(1893)川越の大火以後に建てられた川越の店蔵とは異なる作りですが、川越には大火以前にも建てられていた旧大沢家住宅などの蔵造りがあり、それとの類似点はあるようです。志木市の有形文化財に指定されています。      
Asahiya2_512
もう1軒は「朝日屋原薬局」です。旧村山快哉堂から本町通りを志木駅方面に、5分ほど戻った、表通りに面して建てられています。こちらは国登録有形文化財に指定されている貴重な建物です。母屋は明治45年に建築され、土蔵、洋館、離れ、門、塀などと共に国登録有形文化財に指定された貴重な建築物です。
江戸時代から水運の要衝としての宿場町として賑わった志木市には、この他、野火止用水のいろは樋など興味深い資料が多く残されています。慶応志木高校、立教高校の有る町としても知られていますが、宿場町の面影を残す史跡を是非訪ねてください。

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2006年5月19日 (金)

ペンタックスME Super-凄い人がいるものです

Dscn0312_320 最近は、デジカメを使用する事がほとんどですが、35mmフィルムカメラはペンタックスが好きで、写真はいずれも古いタイプですが、全て今も使用中です。
特に写真中央のME Superは27年も前に発売されたものですが、小型軽量でいかにもカメラというデザインが気にいり、長年使用してきました。このカメラはペンタックスのKマウントタイプの機種の中では、中古品が今でも割と高い人気機種です。年には勝てず、最近はシャッタースピードが、設定どうりに動作しなくなったり、フィルム巻き上げが不調で2回巻上げが必要など使い物にならなくなりました。新宿三井ビル1階のショールームに、持ち込んだところ、部品も無く修理不能との診断でした。残念、これでこのカメラともお別れかと思ったのですが、担当の方が、ペンタックスの古い機種を修理してくれる(有)長谷川工作所を紹介してくれました。修理可能かはわからないが、一度訪ねたらという話に、そんな職人さんがいることに嬉しくなりました。知る人ぞ知る有名修理工房のようです。
早速ホームページを読ませてもらい、修理の可能性も有りそうなので、近いうちに訪ねる事にしました。続きはまた書きます。
さて、本題です。インターネットをME Superで検索していてすぐに見つかったのが、「ME応援復活サイト」というMEシリーズの分解と修理を中心にしたホームページです。詳細な写真付きで、分解、掃除、修理が詳しく書かれています。思わず唸りました。こんな凄い人もいるんだというのが率直な感想です。ペンタックスファンの方で、もしまだ知らないようでしたら、是非一度覗いてみてください。僕はこんな技を持つ人を尊敬します。
  http://tomshome.sakura.ne.jp/ 「ME応援復活サイト」

http://www.tctv.ne.jp/members/hasegawa/hasegawa/index.htm 偉大な修理工場

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2006年5月18日 (木)

門に残る刀傷

Dscn0305_512_1 5月10日の根津から谷中へー番外編で、日暮里の経王寺の門に残る、官軍が打ち込んだ弾痕について書きましたが、こちらは我が志木市に残る刀傷の門です。志木市内には、かつて奥州から相模へと通じる引又街道の宿場町が形成されていました。鎌倉時代の鎌倉街道の古道も残っており、古い歴史が有ります。市内を流れる新河岸川を利用した江戸と川越を結ぶ船運の隆盛で、その恩恵を受けて宿場の町として栄え,今でも市内には幾つもの史跡が残されています。この門は江戸時代から酒造業や水車業、肥料商を営んだ西川家の中庭にあった潜り門が移築されたもので、志木市役所の近くにあります。
彰義隊を匿ったとして経王寺に官軍が鉄砲の弾を打ち込んだ年の2年前、1866年(慶応2年)に当地で起きた武州一揆の際につけられた、刀の傷跡がこの門に残っています。この門の前で、どのような騒動が起こったのでしょうか、映画のワンシーンを見る思いがします。後の秩父事件につながるとも云われる武州一揆については、また書きます。
Dscn0306_320                          

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2006年5月17日 (水)

良く飛ぶ模型飛行機

Mokeih1_512 4月に所沢航空発祥記念館に二人の女性飛行士展を見に行った際、売店でゴム動力飛行機2機を買いました。400円という値段と、組み立てはカンタンの表示に衝動買いです。キッズフライヤーシリーズという幼児からを対象としたもので、組み立ては15分ほどで完成。これが実に良く飛びました。対象年齢6歳からと書いてありますが、尾翼による飛行調整など大人でも楽しめます。幼児二人は、近くの公園で高く舞い上がる模型飛行機を追いまわして大喜びでした。感心したのはユニオンモデルという、この模型飛行機の製作メーカーです。こんな廉価版のキットにまで、全ての部品が壊れたり失ったりした時に通信販売で購入できるのです。(例えば主翼、尾翼が送料込みで150円など)この模型メーカーは、上は70万円ぐらいの製品まで販売する会社ですが、ホームページを見るだけでも楽しいですよ。
   http://www.unionmodel.co.jp/
「昭和30年代の子供たちは、皆、模型少年だった。
彼らが作った竹ヒゴ製のゴム動力模型飛行機が、日本中の空を乱舞していた。アクティブ シニア(団塊世代)の大空への夢をかなえるユニオンモデルは、いくつもの空を知っています。」 ホームページより。
確かに子供の頃は、竹ヒゴをローソクの炎であぶってグライダーやゴム動力機を作り飛ばしたものです。近頃はあまり見かけませんが、子供達が作る喜びを知るように指導したいものです。

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2006年5月16日 (火)

5月の富士山は楽しい

Daisya1_320_1 ゴールデンウィーク後の5月の富士山は、雪崩も落ち尽くして実に爽快な登山ができます。晴天の日を選んで富士宮口新5合目の駐車場に車を置き、早朝出発します。年により違いますが、8合目くらいまでは残雪の上を夏道に沿って登り、そこから上は雪の大斜面を直登しますが、どこまでも続く白い雪田に黒い岩稜と青い空。他の山では味わえない広大な風景が楽しめます。アイゼンが雪に良く効いて登りは快適です。ピッケルも必要ですが、登りではストック2本が有効です。ただ、これはあくまで好天に恵まれた時の事。ひとたび荒れると、遮るものの無い大斜面は地獄と化します。昨年の5月には、9合目、3400m付近で天候が悪化、気温は氷点下、顔面は氷粒でバリバリ、突風で身体が浮きそうな状態で早々に退散しました。どうぞ、好天の日に残雪の富士山を堪能してください。雪の大斜面に、自分だけという夏のImai_320_1Kimunn1_320_1富士山では考えられない登山が楽しめます。あくまで自己責任で事故の無いように。

 

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2006年5月15日 (月)

もうひとつの石仏

Kawaba_320 今日はもうひとつの石仏。上州武尊山を登った帰りに、群馬県川場村で見つけたものです。道端の幾つかの石仏の中に有りました。他のいかつい顔の石像のなかで、この石仏だけは、たおやかなお姿で目立ちました。なかなか、こういったやさしい顔の石仏を見つける事は出来ませんので写真に撮りました。この川場村や隣の利根村は、道祖神や石仏の多い村で、散策していると道端で良く見かけます。

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2006年5月14日 (日)

色っぽい石仏

Kiture1_320  何年か前、喜連川町(現さくら市)を歩いた時に、喜連川城址公園近くで見つけた石仏です。「安曇野の古民家」でも同祖神の事を書きましたが、この町でも同祖神を探していたら、肩抱き握手の典型的な同祖神の横にこの石仏がありました。なにか見ているとこちらもにっこりしてしまう楽しげな石仏?です。胸の大きい人は好きですが、こちらはなんとか姉妹級です。でもこの石仏様には、なんとも心地よい品があります。こちらの勝。
喜連川城址は、お丸山公園として整備されていますが、まさに360度の展望が得られるタワーと、街から公園に上るユニークなシャトルエレベーターは、一度体験する価値はあります。まるで小さな家が上り下りしているようなこのエレベーターは、変なケーブルカーと言った方が良いでしょう。子供たち等は何度も乗りたがると思います。昨日まで、谷中近辺の散歩道を書きましたが、ここ喜連川の古い城下町を歩くコースもお薦めです。

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2006年5月13日 (土)

根津から谷中へーその3

Siryou1_320_2 大名時計博物館から少し戻って、宗善寺前を左折して延寿寺前の道を行くと二股になります。角に小さなパン屋(みかどパンの看板あり)が有りその前の道を直進します。右側に川名石材店が有ります。突き当たったら右折し、すぐに左折します。角に川口松太郎の小説「愛染かつら」ゆかりの、自性院本覚山宝光寺が有ります。1648年にこの地に移転してきたという古寺です。本堂に有名な愛染明王像が安置されていて縁結び、家庭円満にご利益があるそうです。「愛染かつら」は愛染明王像と本堂前にあった古い桂の木に想を得たと言われています。僕の母方の寺でもあります。そこから数分歩くとドラマ「時間ですよ」の舞台にもなった元柏湯の建物が角地に建っています。瓦屋根に煙突が立っていますのですぐわかりました。昔の銭湯は皆こんな感じの建物でした。200年の歴史を持つこの銭湯も、現在はスカイ・ザ・バスハウスという現代美術ギャラリーになっています。森万里子さんの作品展展示が行われていました。散策路はまだまだ次々に興味ある建築物が現れます。ギャラリーの角を右折して言問通りに出たところの左側にあったのが、写真の下町風俗資料館付設展示場です。
「この付設展示場は、谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を現在地に移築したものです。明治43年に建てられた建物は、腕木より軒桁が張り出している出桁(だしげた)造で、また正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸(あげと)が設けられています。いずれも江戸中期から明治時代の商家建築の特徴を示すものです。」ホームページより
昔の酒店が再現されていて、当時の商家の様子が良くわかりました。写真の店先の中央の柱が取り外し出きる中柱で、この両側に上下する板戸があります。
現在のスチールシャッターも、間口が広いと中柱を取りつけてありますが、江戸時代にもあったんですね。2階も展示スペースでしたが、さっきのギャラリーもそうですが、ゆっくり見ているととても半日では廻りきれないので、見学せずに先を急ぎました。もと来た道をギャラリーまで戻り、そのまま直進して日暮里方向に進みました。途中で和菓子店、岡埜栄泉でお土産に豆大福を買いました。ここから朝倉彫塑館までは、寺院の建物や築地塀などを見ながら歩きました。加納院に突き当たったら右折して、観音寺を左折、数分歩くと写真の朝倉彫塑館につきました
。ここの説明は必要無いくらい知られていますので省きます。僕は始めて訪れましたが平日なのに来館者が多いのには驚きました。彫刻家、朝倉文夫が自ら設計した住居とアトリエだった建物には、代表作、大作の彫刻が多数展示されています。彫刻も素晴らしいのですが、コンクリート造と木造の建物が、池のある中庭を挟んで心地よく構成されて、この建物を見に再度訪れようと思いました。彫塑館から谷中ぎんざを通って、千駄木に廻るつもりが時間も遅くなり、そのまま日暮里駅にもどった事は、番外編に書いたとうりです。
谷中は、明治時代の建物が多く残っているので、見て歩くだけでも楽しいのですが、今回見たは資料館などの展示品も興味深いものが多く、貴重な体験ができました。本当にお薦め散策路です。
                              朝倉彫塑館Asakura_320_1                            

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2006年5月11日 (木)

根津から谷中へーその2

Nezuzi3_320_1 根津教会から、来た道を戻りすぐ右折したところが根津神社です。ここは説明の必要もない有名な神社で、千九百年位前、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社です。
江戸時代に五代将軍徳川綱吉が、千駄木の旧社地より現在の場所に社殿を移したとされています。現在見られる社殿・唐門・楼門・透塀等がこれで、重要文化財に指定されています。表参道の鳥居をくぐると、写真の極彩色の楼門があります。つつじを見に来たのですが、つつじ園は5月5日で閉園されていて、庭から眺めるだけでしたが写真のようにきれいな眺めでした。社殿に参拝した後、境内を北に抜けて根津裏門坂にでました。案内書にある夢境庵という手打ちそばの店で、昼食と考えていたのですが不忍通りに出てしまいました。夢境庵は神社から出て左折しなくてはいけなかったのです。残念。不忍通りから左折して藍染大通りに入りました。ここで案内所にでていた甘味所の芋甚で休憩、おいしいアイスクリームを食べました。ここから谷中の寺町散策です。三浦坂を上ると宗善寺、妙行寺、延寿寺等の寺が続きます。谷中には70近い寺院があるそうでまさに寺町です。ここで
大名時計博物館によりました。勝山藩の下屋敷跡と書かれていました。普通住宅の門のようで、見落とすかもしれません。入口のドアーに鍵がかかっていたのですが、ブザーを押すと係りの人が隣の住宅から駆けつけてくれました。説明パンフレットにこう書かれています。
「大名時計は、陶芸家、故上口愚朗が生涯にわたり収集した。
この江戸時代の貴重な文化遺産を長く保存するために昭和26年3月「財団法人上口和時計保存協会」を勝山藩の下屋敷跡に設立、初代理事長となる。
昭和45年10月上口愚朗没後、二代目上口等が昭和49年4月「大名時計博物館」を開館、親子二代にわたり設立した博物館です。」
館内は一部屋でそう広くないのですが、江戸時代の大名お抱えの時計師たちが作った、櫓時計、台時計、枕時計、尺時計、印籠の形の時計が多数陳列されていました。以前、科学博物館でからくり人形の展示と実際に動かす催しがあり
その精巧な作りに感心しましたが、ここの江戸時代の時計職人達の仕事にも驚かされました。素晴らしい作品ばかりです。なかでも感心したのは、懐中日時計、歩度計(まさに今の万歩計です)でした。櫓時計等は見た事がありましたが、これらは生まれて始めてお目にかかりました。時代劇でも見た覚えがありません。一見の価値有りです。
さて、ここから寺町をのんびり歩いて下町風俗資料館から、最終目的地朝倉彫塑館に向いましたが、また明日書きます。数時間の散策でこれほど懐かしい東京の風景に出会え、資料館などを見学できるコースはそう無いでしょう。お薦め散歩道です。
Nezuzi2_512_1 Daimyo1_512_1            


大名時計博物館入口

 
                                                             

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2006年5月10日 (水)

根津から谷中へー番外編

Kyououzi_320_1大日岳遭難事故については、国が控訴しなければ何も書かなかったのですが、控訴が決定したようなので、あえて書きました。
今日は根津から谷中へのそぞろ歩き番外編で、彰義隊と縁のある日暮里の経王寺を書きます。
根津神社から朝倉彫塑館まで歩いて、JR日暮里駅に近い御殿坂まで来ました。ここから左折して谷中ぎんざからよTamaato_320_1みせ通りを経て地下鉄千代田線の千駄木駅まで歩くつもりでしたが、時間も遅くなり右折してJR日暮里駅をゴールに決めました。歩き始めてすぐ左手が経王寺です。1655年に建立された日蓮宗の寺で、山号は大黒山。
本堂隣の大黒堂には日蓮上人が作ったとされる大黒天が鎮守として祀られています。
1866年(慶応4年)5月15日。上野寛永寺に立てこもった幕府軍(彰義隊)に対して午前11時頃、大村益二郎指揮の新政府軍は、薩摩軍が広小路口から、長州軍が谷中.本郷台方面から総攻撃をしかけます。昼頃までは善戦しますが、午後二時には黒門が突破され、彰義隊は次々と敗走します。夕方には事実上戦闘は終了。上野寛永寺は一晩中燃え続けました。この時敗走した彰義隊員を匿ったとされた経王寺は新政府軍の攻撃を受けました。そのとき新政府軍が発砲したとされる弾の跡が今も山門に残されています 。徳川家の禄を食んでいた僕の曽祖父も彰義隊に参加したと伝えられ、北海道で行方不明になってしまいました。
もしかすると、町民姿になってこの寺に逃げ込んだかもしれない。そんな思いがよぎりました。

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リーダー,ガイドの責任は重いーその2(大日岳遭難事故)

大日岳遭難事故の裁判で、指導者の責任有りとの判決に、国は控訴を決めたとの報道があった。これを見守りたい。決して不毛の論争の継続ではないと思うからである。前回、当事者ではないと書いたが、判決後もし自分の息子が遭難した場合と考え続けて、僕はこのリーダー研修の指導者の責任を追及する損害賠償は求めないとした。

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2006年5月 9日 (火)

根津から谷中へ

Hanntei_320 今日は根津から谷中の坂や路地裏、寺町を歩きました。地下鉄千代田線の根津駅下車、地上に出ると不忍通りと言問通りの交差点です。不忍通りを根津神社と反対方向の不忍池方向に向って数分歩いた左側に木造3階建ての建物があります。串揚げ所「はん亭」です。道路拡張により建物が削られたので、道路側は鋼製のルーバーになっている為、見落して通り過ごしてしまいましたが、右側の道を裏に廻ると写真のような建築物です。明治時代の建物として、文化庁登録有形文化財にも指定されています。昼時で店は混んでいましたが、昼御膳3500円はランチにはちょっと高いです。(前に築地魚市場の寿司でも同じことを書きましたね)まあ、懐具合と相談ですが。
ここから、また元の交差点まで戻り、根津神社に直接向わず言問通りを東大方面に進みました。弥生坂を登りすぐ右折、おばけ階段を抜けて根津神社の大鳥居を目指しました。大鳥居方向に曲らずに少し不忍通り方向Nezuky1_320に進んだ右手に写真の根津教会がありました。大正8年(1919)に建てられ、ここも文化庁登録有形文化財に指定されている貴重な木造建築です。教会のホームページに「この礼拝堂は「ゴシック様式」の装飾をまとった「木造・下見板張り構造」で、その結果、米国の町の小さな教会に極めて似た雰囲気をもっています。」と書かれていました。
外壁の青いイギリス下見板張りが、綺麗です。前に立つと小さな教会ながらかなりインパクトがあります.設計者が不詳なのは惜しいです。次の機会には、内部の礼拝室も見たいと思いました。教会から元来た道を少し戻り、右折して根津神社に向いました。
根津神社では、ツツジが丁度見頃でした。江戸時代から名勝として知られていたそうです。根津神社と大名時計博物館方面へのそぞろ歩きは、また明日書きます。

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2006年5月 8日 (月)

一初(いちはつ)と自在鉤

Itihatu_320 庭にいちはつが凛と咲いています。あやめ科の中で最初に花を咲かせるから、一初の名前が付いたと云う事を、インターネットの検索で知りました。  乾燥に強いため、昔はかやぶき屋根の頂上部分にたくさん植えて、屋根を締め付けて守り、また火災、大風の魔除けの意味もあったそうです。
火災から守るといえば、安曇野の古民家の夜、囲炉裏に古い桑の枝をくべて火を焚きました。煙と共に火の粉が暗く高い天井に上ってゆきました。誰も住んでいなかった家の萱葺き屋根は、長年の ほこりが溜り、火の粉から燃え移るのではと心配しました。翌日、村の人から、自在鉤に付いている横木の魚の彫刻は、ここはもう水の中だよという火災防止を込めた意味があることを教わり、すごく納得しました。
一初や、自在鉤の魚に、火災を恐れた村人の気持ちが伝わります。
        
    いちはつの花咲きいでて我が目には
               今年ばかりの春行かんとす    正岡 子規
                            病床にあった子規のつらい句です。

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2006年5月 6日 (土)

良かった

2階席最前列で見ました。空中のつづらから石川五右衛門がぱっと躍り出す。そして空中を悠然と泳ぎだして我が頭上に消える。宙乗りの妙技。まさに目と目が合いそうな距離。大満足です。場所は新橋演舞場五月大歌舞伎です。
 夜の部を見てきました。中村吉右衛門を中心に、団四郎、染五郎、亀治郎、福助など充実の一座が歌舞伎の魅力を堪能させてくれました。客席は満員、亀治郎ファンでしょうか、若い観客も目立ちました。演目は「石川五右衛門」「京鹿子娘道成寺」「松竹梅湯島掛額」とまさに大サービスの見どころたっぷり。
石川五右衛門を豪快に演じた吉右衛門が「松竹梅湯島掛額」では、軽妙な演技で紅屋長兵衛を演じて場内大爆笑。五右衛門も良かったがこちらも一段と魅力的でした。吉右衛門の上手さが光りました。中村福助は、大曲「京鹿子娘道成寺」を踊りました。92.93年の襲名時以来、東京では14年ぶりとの事で故・六代目中村歌右衛門に直接仕込まれたという大曲を、華麗に舞いました。福助のこの演目に掛ける心意気が舞台いっぱいに溢れていました。花◎です。
染五郎も、叔父吉右衛門との共演を伸び伸びと演じていました。なにか楽しげでした。亀次郎の八百屋お七は、恋する女の心情を、相変わらず美しく魅力いっぱいに見せてくれました。文楽の人形ぶりの演技はファンにはたまらなかったでしょう。何度も拍手が起きました。
中村吉右衛門が歌舞伎を演舞場で演じるのは23年ぶりとの事。松竹では今後も毎年5月に 吉右衛門を中心とした歌舞伎を上演していきたい意向とのことで、歌舞伎座との競演がおおいに楽しみになりそうです。
ちなみに、今日の公演も、「團菊祭5月大歌舞伎」に引けを取らない熱演だと思いました。

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2006年5月 5日 (金)

熊はいやだよ

「クマ注意報」山菜採り2人襲われ重傷…秋田と岩手(読売新聞)
 4日午前9時35分ごろ、秋田県にかほ市象潟町横岡の山中で、山菜採りをしていた同市象潟町本郷、無職大野建一さん(69)が、クマに襲われ、左顔面と左腕を引っかかれて重傷を負った。

 にかほ署によると、大野さんは長男(37)と入山。竹やぶを歩いていたところ、前方の茂みから突然、クマが現れた。長男が木の枝でクマの顔や腹を突くなどして追い払ったという。

 また、岩手県奥州市江刺区広瀬の山林では、午後2時20分ごろ、近くの無職伊藤昭一さん(62)が倒れているのを、探しに来た妻が見つけた。伊藤さんは顔を引っかかれたような跡があり、重傷。江刺署はクマに襲われたとみている。

今日のニュースである。この2件は熊に襲われて重傷を負ったものだが、この他にも報道されないが遭遇例はあったのかも知れない。
ここ数年は、登山中に熊を意識せざるを得ない状況が続いている。幸い僕は直接熊と遭遇した事は無いが、それに近い例はある。一昨年の秋の白砂山で、日没となり、ヘッドランプをつけて真っ暗な藪道を下山中、至近距離で大型獣に接近された。昨年は10月に佐武流山で、下山の遅れた我々パーティを山岳救助隊長も兼ねている宿の主人が、林道を車で迎えに来てくれた。何事も無かったのだが熊の出没が多く、心配してくれたとの事だった。
そして11月、和名倉山で下山中、僕より少し遅れて藪道を歩いていた友人が登山道脇の20mの距離で熊を発見した。熊の方がすばやい行動で消えたが、僕に伝えようと急いだ友人が、道を誤り2時間もの薮漕ぎで、ビバークを覚悟したと話してくれた。。
以前は、それほど熊との遭遇を心配することなく山歩きをしていた。ここ数年は異常事態である。今日のニュースを聞いて、どうも今年も熊との遭遇を覚悟せざるを得ない。今日の例でもそうだが、最近は出会いがしらに熊が驚いて攻撃してくるのではなく、人間に向ってくるようで怖い。登山中の対処方法として鈴を鳴らすなどをしているが、いざ出現されたら落ち着いて行動する自信は無い。テレビで効果のある方法として、レジャーシートを身体の全面に掲げて姿を大きく見せるというのがあった。白いシートを持ち歩いているが、瞬間的に広げられるように、持ち歩くことは難しい。
熊除けスプレーなるものも市販されているが、これで熊を撃退した例を今まで聞いた事が無いので、効果の程はわからない。しかも射程有効距離が3メートル程度と聞くと、キンチョールで蚊を落とすような悠長な行動が取れるとも思えない。
熊の生息領域に人間が入っているのだとは思うが、最近は熊が人間の生活領域を脅かしている。ともかく辺鄙な山登りには、腰に鉈かアイスバイルをつけて、かなわぬまでも反撃してみる覚悟である。しかし、一昨年奥只見の銀山平で、留守中の小屋に侵入した熊が、アルミ鍋の蓋と殺虫剤のスプレー缶に残した、ドリルで穴を空けたような大きな爪あとを見ているので、反撃やらも心もとない。
願わくば、山の熊さんが腹をすかさないように、僕とは会わないようにと願う次第である。

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2006年5月 3日 (水)

安曇野の家その2と道祖神

Kominn1_512 家の中に張ったテントの中で、昼間の道普請作業の疲れも出て、ぐっすり寝こんでしまいました。夜半雨が降りだし、風も出てきたようです。隙間風だらけの部屋は、オイルランタンの小さな炎を、ゆらゆらとなびかせます。時々、築100年の家がギシギシと音をたてます。フライシートを付けていないテントがゆれます。しかし不思議と怖さはありませんでした。この家Dousos2_512_1に昔住んだ人達が、今夜、新しい住人が来て、久しぶりに囲炉裏に火が入った事をなんだか喜んでいるのだと感じました。皆さん、暖かく迎えてくれてありがとう。つぶやいて、また眠りに落ちてゆきました。朝、目覚めてテントを出ると、雨も止み、日の光が部屋中に差しこんでいました。まだ、寝こんでいる友人を寝袋に残し、朝の村の小道を歩きました。昨年、いや昨日さえも気づかなかった家の前の道に、男女像の道祖神を見つけました。肩を抱き、握手しているほのぼのとした、双体道祖神です。安曇野全体がそうですが、この村も道祖神の多い部落です。胸に手を差しこんでいる嬉しい像もあるとの事ですが、見つけていません。村の道祖神については、また書きます。少し高台に立つと、まだ真っ白な常念岳が良く見えました。頂上の平らな特徴のある有明山を挟んで左に燕岳、右に餓鬼岳も見えました。良い村だな。そう感じました。
午前中に、設備の業者と、大工の棟梁との打合せを済ませ、ストーブ工房に寄ってから、村のおばさん達で経営している小さな食堂で、手打ちうどんを食べて、家路につきました。

                                                           

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2006年5月 2日 (火)

安曇野の家と道普請

Akaziz2_512   再生計画中の古民家のある、安曇野に行きました。村の道普請行事に友人と参加する為です。朝7時に、村の赤地蔵前に集合との事で、通行量の少ない夜の信越道をチェロキーで走り抜けました。田舎は朝が早いですね。眠い、眠い。道普請と言っても、最近は村内の道路脇の側溝に詰まった落ち葉除去が主な仕事です。村中の家から人が出て、皆で区域を分担して作業します。落ち葉を除いておかないと、大雨の際、道路が川になってしまうので、大事な仕事です。無駄話をしながら落ち葉をさらってゆき、和気藹々で結構楽しい時間が過ぎてゆきました。終了後はそれぞれの地区にある小さな公民館での懇親会で、ビールを飲みながら、また話しが盛り上がります。外では満開の桜の花が風で散り、開けはなした窓から飛びこんできました。嬉しい事に今年は東京、仙台、安曇野とこれで3度のお花見が出来ました。懇親会には始めて参加した僕も、村の人達と楽しく、いろいろ話しができました。その後、下のラジウム温泉で汗を流してから、古民家(ボロ家)に戻りました。寒い冬の間、誰も訪れる事が無かった暗い家の窓や戸を開けてやると、家が急に生き返ったようになります。
古畳は全て処分したので、下地板だけの部屋に山用のテントを張って、この家に始めて泊まることになりました。電気はまだ来ていないので、ランプを灯し、囲炉裏に薪をくべて、友人と二人焼酎を飲んで酔っ払い、這うようにテントにもぐりこみました。築100年の家です。ここで生まれ、亡くなっていったこの家の人達が何か語りかけてきたでしょうか。続きはまた明日。Kominn2_512_3Niwano1_512                              

家と庭先の眺め。水仙が咲いていました。

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