2017年8月15日 (火)

終戦記念日 安倍首相の式辞に思う

今日の終戦記念日、テレビから流れる全国戦没者追悼式での安倍首相の式辞を聞きながら、ここ5年間変わることのなかった、「反省」の言葉が消えた式辞の文脈の繋がりに、納得できない思いがまたこみ上げてきます。
私は、先の大戦に於いて、戦場に斃れた兵士、戦禍に遭われた人たちの尊い犠牲の上に今の日本の平和と繁栄があると結ぶのは間違っていると思います。
310万人もの国民が、なぜ戦争の犠牲者になったのか、
戦争当事国の日本国の反省と国民への謝罪なくして、ただ、命を捧げた戦没者の御霊安らかにと言われても浮かばれないことでしょう。
最近の2年では、先の大戦に「苛烈を極めた大戦、戦場」との言葉が加わり、より受身で、やむを得ず対戦したのだと、戦争の当事者感が曖昧にされていると感じます。
平和を重んじ、繁栄する今の日本は、戦争を遂行した国家体制が敗戦により崩壊し、その反省から出発した戦後の国民の平和への思いと、努力により成されたものと思います。
戦争当事国、そして敗戦国とは思えない、責任感の欠落した言葉の羅列に、私は虚しさを覚えるのです。
参照が長くなるので、平成25年からの5年間の安倍首相の式辞のうち、最近3年間分を写しておきます。なに、それ以前の2年間も、ほとんど同じですから。

○平成27年
天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。

遠い戦場に、斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。

皆様の子、孫たちは、皆様の祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆様の尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、わたくしたちは、片時も忘れません。

70年という月日は、短いものではありませんでした。平和を重んじ、戦争を憎んで、堅く身を持してまいりました。戦後間もない頃から、世界をより良い場に変えるため、各国・各地域の繁栄の、せめて一助たらんとして、孜々たる歩みを続けてまいりました。そのことを、皆様は見守ってきて下さったことでしょう。

同じ道を、歩んでまいります。歴史を直視し、常に謙抑を忘れません。わたくしたちの今日あるは、あまたなる人々の善意のゆえであることに、感謝の念を、日々新たにいたします。

戦後70年にあたり、戦争の惨禍を決して繰り返さない、そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いていく、そのことをお誓いいたします。

終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、末永いご健勝をお祈りし、式辞といたします。

平成27年8月15日 内閣総理大臣 安倍晋三

〇平成28年
本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を挙行するにあたり、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。
あの、苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦渦に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時たりとも忘れません。衷心より、哀悼の誠をささげるとともに、改めて、敬意と感謝の念を申し上げます。
いまだ、帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、脳裏から離れることはありません。おひとりでも多くの方々が、ふるさとに戻っていただけるよう、全力を尽くします。
わが国は、戦後一貫して、戦争を憎み、平和を重んじる国として、孜々として歩んでまいりました。世界をよりよい場とするため、惜しみない支援、平和への取り組みを、積み重ねてまいりました。
戦争の惨禍を決して繰り返さない。
これからも、この決然たる誓いを貫き、歴史と謙虚に向き合い、世界の平和と繁栄に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世の中の実現に、全力を尽くしてまいります。明日を生きる世代のために、希望に満ちた国の未来を切り開いてまいります。そのことが、御霊に報いる途であると信じて疑いません。
 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に永久の安らぎと、ご遺族の皆様には、ご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。

平成28年8月15日
内閣総理大臣 安倍晋三

〇平成29年
天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
先の大戦において、三百万余の方々が、祖国を想い、家族の行く末を案じながら、苛烈を極めた戦場に斃(たお)れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷の地で命を落とされました。いま、その御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

 いま、私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命をささげられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。

 戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない。

 戦後、わが国は、一貫して、戦争を憎み、平和を重んずる国として、ただひたすらに、歩んでまいりました。そして、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきました。私たちは、歴史と謙虚に向き合いながら、どのような時代であっても、この不動の方針を貫いてまいります。

 いまだ、争いが絶えることのない世界にあって、わが国は、争いの温床ともなる貧困の問題をはじめ、さまざまな課題に、真摯(しんし)に取り組むことにより、世界の平和と繁栄に貢献してまいります。そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のため、希望に満ちた明るい未来を切り拓(ひら)いていく。そのことに、全力を尽くしてまいります。

 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。

平成29年8月15日

 内閣総理大臣 安倍晋三

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2017年8月11日 (金)

セミの抜け殻のなる木

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Dsc02608_1024我家の周りでは、早朝から夜中までセミの大合唱が聞こえます。
アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、それぞれ鳴き声が違いますが、一体となるとワーンという大音響になって、騒音になります。
志木ニュータウン内は、子供でも30分もあれば、20匹くらいのセミ取りが出来ることは、以前書いたことがあります。
それだけセミが多いのですが、セミの抜け殻も、あちこちの木の枝にあきれるほど見つけることが出来ます。この写真、一本の木ですが、地面の上30cmほどの枝から、3m近い高さの枝まで、まさにセミの抜け殻がなっています。20個以上はあるでしょう。木の根もとは、セミがはい出した穴だらけです。(写真はクリックすると拡大します)
木はたくさんあるのに、何故、同じ木に集中するのかがわかりません。卵を産む際に、好き嫌いがあるのでしょうか。
泥をかぶったような、ニイニイゼミの抜け殻は、見つけられないので、ニュータウンにはいないのかもしれません。
特徴のあるツクツクボウシの鳴き声は、まだ聞いていませんが、これからヒグラシと共に鳴いて、秋の近いことを教えてくれることでしょう。

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2017年8月 9日 (水)

オーストラリアで沖縄駐留のオスプレイMV-22墜落

オーストラリアで、訓練中の米国海兵隊のオスプレイMV-22が、墜落したと報道されましたので、少し詳しく調べてみました。

Photo

(写真上、強襲揚陸艦 ボノム ・ リシャールに着艦するMV-22、尾翼の竜マークは普天間基地所属の第265ティルトローター部隊を表す。14番機と思われる。
艦は違いますが、墜落した機体も、この写真より少し上空から、舷側寄りの甲板に衝突し、手摺と舷側甲板を破壊して海面に落下した模様です。墜落したのが何番機か不明です。)

 墜落事故はオーストラリアの東部クイーンズランド州ロックハンプトンに近いショールウオーターベイ沖で起こりました。
墜落したMV-22は、海兵隊沖縄普天間飛行場所属の第31海兵遠征部隊(31MEU)の第265海兵ティルトローター部隊所属です。
沖縄のMV-22が、オーストラリアまでと、驚く方がおられると思いますが、沖縄の海兵隊は半年ごとに兵員の約半数が入れ替わり、訓練も年4カ月以上はオーストラリア、フィリッピン、タイ、シンガポール、マレーシア、韓国、グァムなど、海外で行われています。
常に普天間基地に駐留しているわけではないのです。
今回の墜落も7月下旬まで行われていた米豪の合同軍事練習「2017タリスマン・セーバー」に参加し、その後の追加訓練中に起こりました。尚、オーストラリアは、米軍の恒久基地を置くことは許していないので、海兵隊基地もありません。
 8月5日、訓練に参加していたワスプ級強襲揚陸艦 ボノム ・ リシャール(USS Bonhomme Richard, LHD-6)(写真上)から発進したMV-22のうちの1機が、サン・アントニオ級ドッグ型輸送揚陸艦グリーン・ベイ (USS Green Bay, LPD-20)(写真下)に着艦しようとした際、バランスを崩して、飛行甲板舷側寄りの部分に激突、そのまま海面に落下したのです。グリーン・ベイも、飛行甲板横が大きく損傷しました。
600pxuss_bonhomme_richard_lhd6MV-22には、乗員5名、搭乗の海兵隊員21名の計26名が搭乗していました。
(MV-22の定員は乗員5名、搭乗者23名の28名)
直ぐにヘリコプターによる捜索と海上での救助活動が行われ、23名が救助されましたが、機体は水中に没し、3名が行方不明になりました。救助された23名のうち、1名は足の骨折で重傷です。
その後、機体はオーストラリア海軍の調査船により、海底で発見されましたが、その状況から3名は死亡した模様と発表され、捜索も中止されました。3名は機体に閉じ込められた可能性もあるとみられています。
機体は水中探査機を投入して状況を調べ、今後米豪が協力して改修作業を本格化させると、東京新聞が報じています。しかし機体の引き上げには、日数がかかる模様です。
死亡した海兵隊員の氏名も公表され、家族の談話なども、ネット上で発表されています。また、事故率の一番高い航空機として知られる、垂直離着陸機ハリアーに迫る事故率になりつつあるのではないかと、オスプレイの安全性に疑問を抱く家族もいるようです。
The_green_bay_lpd_20_near_new_orlea_97257924_trio3名の氏名
1st Lt. Benjamin R. Cross 中尉 ベンジャミン・ロバート・クロス 26歳
Pfc. Ruben P. Velasco 一等兵 ルベン・P・ベラスコ 19歳
Cpl. Nathaniel F. Ordway 伍長 ナサニエル・F・オードウェイ 21歳

クロス中尉とオードウェイ伍長は、第265海兵ティルトローター部隊のオスプレイ搭乗員で、ベラスコ一等兵は第三大隊第五海兵隊の兵士です。皆、若い海兵隊員たちです。オスプレイの開発段階からの事故死者は、50名近くにのぼり、今回の墜落事故による死者は米軍にも大きな衝撃を与えています。

沖縄に駐留する海兵隊のMV22の最近の事故では、2016年12月の沖縄県名護市沖で、普天間基地の24機のオスプレィの中の1機が空中給油中に墜落大破、2名が負傷した事故が記憶に新しいところです。
今回のオーストラリアの墜落で、普天間基地の24機のオスプレイのうち、2機が墜落したことになります。どちらも航空機事故の規模を示す四段階評価で最も重大な「クラスA」に当たると米海軍安全センターが発表しています。
「クラスA」は二百万ドル(約二億二千万円)相当以上の被害や機体の損傷、死者が出た場合に適用されます。
普天間基地のMV-22は、この2機を失っただけでなく、名護市沖での事故と同じ時期、別の1機も基地内で着陸時の故障により胴体着陸しました。
また17年6月6日に伊江島補助飛行場に、同10日は奄美空港に緊急着陸するなど不具合が相次いでいたのです。

訓練中の事故も多いのですが、緊張感に包まれる実戦では、その操縦性が不安視される事故が実際に起きています。
今年1月にイエメン中部でISとの戦闘に参加していたMV-22、1機が海兵隊員の収容時に着陸に失敗し、乗員3名が負傷しました。オスプレイの操縦の難しさが伝えられますが、舞い上がる砂塵の中、操縦士が動揺してしまったと報じられています。
機体が敵側の手に渡ることが無いよう、空爆で完全に破壊された写真を見た方も多いと思います。
オスプレイMV-22の事故率増加、日本の自衛隊の購入の是非については、2017年4月23日に当ブログで詳しく書いていますが、執拗に反論してくる方たちも多いのです。
http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-245b.html
しかし、事故率の高さなど云々より、普天間基地所属の24機のうち、一年にも満たない中で、2機が墜落してしまった現実は重く受け止めるべきです。
日本政府は、オーストラリア、ショールウオーターベイ沖での墜落事故を受けて、国内の飛行自粛を6日に要請しました。しかし、7日午前10時40分頃には普天間飛行場からMV-22の発進が確認され、要請など全く無視された状態です。政府関係者は、要請を事実上拒否されたとの考えをしめしたと、東京新聞が伝えています。
沖縄だけでなく、千葉県木更津市と県も陸上自衛隊木更津駐屯地で実施されている定期整備に伴う試験飛行の自粛を、米軍に働きかけるよう防衛省北関東防衛局に要請しました。そのほか、北海道や佐賀県、青森県でも安全性への懸念や飛行中止を求める動きが広がったとも東京新聞は報じています。
オスプレイの国内飛行は、我家から近い横田基地にも空軍仕様機CV-22の配備が決まっており、看過できない問題です。このことは、近日中に、再度オスプレイの問題として書く予定です。

「8月10日追記」
日本政府の自粛要請にも関わらず、オスプレイの飛行を続ける在日米軍側は、飛行継続の理由を次のように語ったと、報道されています。
〇シュローティ在日米軍副司令官
「安全性を確認した上で、運用上必要だと判断した」
〇米国防省のデービス報道部長
「米軍は全ての運用において安全を最優先している」
「オスプレイは日本の防衛や日米の安全保障、地域の安定のために必要だ」
米軍側に、何故こうまで強気の発言を許すのか、日本政府の自粛要請なるものを改めて検証してみると、その理由はすぐ理解できました。
要請と言っても、
「出来ましたら自粛してくださいとの、極めて低姿勢のお願いだったことがわかったのです。次の菅官房長官の発言で、良くわかります。
これでは、米側は、何の配慮も必要ない。今までどうりだと思うことでしょう。

〇菅官房長官

「防衛省から米側に対し、運用上必要なものを除いて、国内におけるオスプレイの飛行自粛を申し入れている」

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2017年8月 5日 (土)

埼玉4区 豊田真由子氏の議員辞職を求める市民集会へ

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午後6時から1時間、東武東上線の志木駅南口前で、豊田真由子衆議院議員の議員辞職を求める市民集会が行われました。(写真左)
主催は、自公政権の暴走を防ぐべく、選挙で野党が共闘しようと立ち上げた「市民が野党をつなぐ埼玉4区の会」です。
自分の秘書への日頃の暴言、暴力が暴露され、「この、はげー」「違うだろー」で、一躍時の人に躍り出た、この自民党の女性議員は、恥ずかしながら我が志木市を含む、新座、朝霞、和光市の4区の選挙地区、埼玉4区(1人区)の選出議員なのです。
1時間の短い集会でしたが、駅前に約300名の市民が集まり、新座、朝霞、和光、志木4市の市民が、それぞれ3名づつ、3分間スピーチで、リレートークし、豊田真由子議員の辞職を求める日頃の思いを語りました。
僕もスピーチの機会を与えられて、次のような話をしました
3分間スピーチは、語数にして650語~800語程度でまとめなければなりません。前のスピーチとだぶれば、話を変えなくてはならないこともあり、難しくて苦手です。
僕は、豊田真由子氏がまったく議員活動もせず、精神不安定とかで入院しているとの情報だけが流され、本人から何の説明もないまま、高額の議員報酬を得ているのは、おかしいのではないか、早く辞職すべきとの話をまとめるつもりでした。
しかし、この日の午後、豊田真由子氏の女性議員秘書が、支持者へのお詫び行脚を始めているとの報道に驚き、急遽話を変えたので、あまりうまくまとまらないスピーチになってしまいました。

〇3分間リレースピーチ
今日の主人公、豊田真由子氏は、皆さんがお持ちのスマホやパソコンで読めるホームページを持っています。テレビで何度も暴言を聞かされた「凶暴議員」とは思えない、立派な政策や理念を滔々(とうとう)と語っているんです。
ところが、6月6日日付の志木市長選挙の応援の記事を最後に何も書かなくなりました。報道された秘書への暴言や暴力の事など知らんぷり、勿論雲隠れしたことも報告していません。まあ、自分で雲隠れしていますと言う人もいないでしょうが。
ですから、ホームページにあるように、まだ自民党国会議員であることを、隠していないんです。先ほどもお話があったように、今朝のTBSのテレビでも放送されたようですが、議員辞職する気などさらさら無い。新しく雇われた女性秘書が名刺を配ってお詫び行脚を始めたと、新聞やネットニュースでも報じられています。
議員を辞める気もないが、地元埼玉4区の有権者に、何の説明もしないで、ほとぼりの覚めるのを待つというのは、埼玉県の上田知事も、一昨日の定例記者会見で、それは卑怯だと語っていましたが、まさに「卑怯者」です。
本人の発表は無いのですが、自民党には離党届を出したと報道されています。出せと言われたのが正しいのでしょうが。
ところがどうやら、自民党はまだ受理していないようなんです。この辺が自民党の汚いところです。受理という言葉の曖昧さでもあります。
本当だろうかと、今日、ここに来る前に自民党のホームページで、衆議院議員名簿を見てみました。あるんです。ちゃんとタ行の議員名簿に写真入りで豊田真由子と。女性局次長、青年局次長の役職もそのままなんです。
今、精神不安定で入院中ですって!。自民党の議員さんは、何か不祥事があるとすぐに入院するくせがある。覚えていますか。去年の甘利明前経済再生担当大臣。
怪しい金のやり取りを突かれて、やばいと思ったら、睡眠障害で2か月入院。ほとぼりの覚めた頃、ああよく寝たという顔で、ケロッと国会に戻ってきた。
今回の内閣改造で、巻き返しをはかりたいだとか。とんでもないことです。
こちら埼玉4区の豊田真由子氏は、精神不安定で入院。精神不安定!よく言うよとあきれるばかりです。「このはげ」と聞かされる度に、こちらの方が情緒不安定になります。
皆さん、豊田真由子氏には、月給130万円と通信費など諸手当165万円。合わせて毎月300万円。それにボーナスが635万円。
年収4200万円。それだけではなく、3人の秘書の年間給料2500万円。合計6700万円が支払われています。(他にJR全線が無料、月に4往復分の航空運賃が無料)すべて私たちの税金からです。国政の任はそれほど重いともいえるのです。
辞めてもらいましょう。まったく議員活動していないのですから。ごめんなさいと名刺を配った歩く秘書さんの給料まで、支払いたくありません。
豊田真由子氏の座右の銘は「艱難(かんなん)汝を玉にす」だとか。「暴言汝を無職にす」と豊田真由子氏の議員辞職を、強く願うものであります。
                                 以上


スピーチした埼玉県上田知事の、定例記者会見での発言は、埼玉県ホームページの「知事の部屋」で発表されている公式議事録の引用です。
2017年8月1日 定例記者会見
 「産経」

衆院4区の豊田真由子議員の秘書が地元自治体や支援者らにお詫び行脚に回っているというお話がありまして、それから議員辞職しないんじゃないかというようなお話も出てるんですけど、そのあたりちょっと御所見どうでしょうか。

 「知事」
私は政治の信頼を取り戻すには御本人がお辞めになって、そして、あるいはお辞めになる前にきちっと姿を現して事の内容に関してつまびらかに発表されて、そして意見交換とかをされて、その上で国政の任に堪えられるというような判断をされれば、またそれもあるのかもしれませんが、表に出ることができないような状態でほとぼりが冷めたら出てこようかというのは卑怯ではないかと思います。

4市市民12人によるリレートークの後、集会アピールが拍手のうちに採択され、みんなで豊田真由子議員、辞職せよとコールして、1時間の集会を終わりました。

「集会アピール」

「私たちは、豊田真由子衆院議員の議員辞職を求めます」
埼玉4区選出の豊田真由子議員による秘書への暴言・暴行事件が6月に報道され、埼玉4区の有権者は怒っています。
明らかに議員として失格です。
事件後1か月以上も経過し、被害届が警察に受理されているにもかかわらず、入院を隠れ蓑にして、説明も謝罪もしていません。このまま議員の椅子にしがみ続け、議員歳費だけを受け取り続けることは許されません。
直ちに、国民に謝罪し、議員辞職することを求めます。
補欠選挙を実施して、埼玉4区の有権者の声を国政に届ける新しい衆院議員を選出すべきです。
また、総選挙で公認した自民党、推薦した公明党の責任も問われています。両党がそれぞれの責任で豊田真由子氏に議員辞職を求めるよう強く要望します。  以上


豊田真由子氏が9月までに議員辞職すれば、10月に補欠選挙が行われることになります。現在、この10月に予定されている青森4区、愛媛3区の二つの補選の結果が気になる自民党としては、負け戦必死の埼玉4区の補選は、絶対に避けたいところです。
離党届を受理?しても、離党させず、9月末まではそのまま、入院させておけとの党の方針なのでしょう。
一方豊田真由子議員は、宙ぶらりんの状態のまま、日に日に高まる地元有権者からの議員辞職を求める声にたまらず、もぞもぞと動き始めたというところだと思います。
毎年朝霞市で行われる「彩夏祭」には、必ず出てきて住民と交流していた豊田議員が、よさこいで盛り上がる今年の彩夏祭に出てくるだろうかと、マスコミも注目しているようです。

 

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2017年8月 1日 (火)

白山へ---その2(下山)

 30分程過ごした白山主峰山頂に別れを告げ、登ってくる大勢の登山者とすれ違いながら、石畳、階段などで良く整備された登山道を、30分程で室堂へ戻りました。
室堂も登山者がいっぱいです。今日は7月15日(土)、そうです、金沢駅から別当出会間迄の登山バスが運行されたのです。
僕も午後15時30分の、別当出会発のバスに乗り金沢駅に戻らねばなりません。夜行高速バスが予約してあるのです。
時間は充分と思いながらも、もし足でも傷めたら、別当出会に宿泊施設は有りません。
頂上からの翠ヶ池巡りなども考えたのですが、下山を急ぐことにしました。好天に恵まれて、白山に登れたことだけでも感謝しなくては。
室堂発10時40分。
砂防新道と観光新道との分岐になる、黒ボコ岩を目指します。
すぐに室堂に至る最後の登り、五葉坂です。10分程でこれを下り、エコーラインとの分岐を左に見て、弥陀ヶ原になります。低木と高山植物が草原状に広がり、明るく開けた眺めの良い場所です。背後に水屋尻雪渓、その先に登ってきた白山主峰、御前峰がくっきりと見えます。雪渓横に、下ってきたきた登山道が、一本の線となって見えます。
都会に暮らすと、自分が歩いてきた道の軌跡を、振り返って見られることなど、まずないでしょう。それが山の稜線歩きでは、普通の事のように見えてしまいます。はるばる来たなと、感慨にふける道もあります。山登りの醍醐味の一つです。(写真下2枚)
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弥陀ヶ原から黒ボコ岩までは、短い距離です。(写真左2、3枚目)
黒ボコ岩には、大勢の登山者が休んでいました。ここが、室堂からの二つの登山道、砂防新道と観光新道の合流地点なのです。
実は、室堂で再開したMさんから、観光新道を下ることを勧められていたのですが、霧が湧き、眺望も望めないと自分に言い訳して、急坂の少ない、楽な砂防新道を下ることにしました。少し疲れが出てきていました。
実は南竜山荘で朝起きたら、左手の薬指の第一関節から先が、だらりと下がったままでした。動かそうと思ってもまったく自分の意志では動きません。痛みなどはありません。なんだかよくわからない症状ですが、腱が切れたようです。そんなことも、弱気になる原因でした。
黒ボコ岩を過ぎたあたりでは、登山道脇に高山植物がたくさん見られました。
十二曲りの急坂も、下りは楽です。登ってく
Dsc02588_1024る大勢の登山者とのすれ違いで、何度も待たされます。
今日も暑く、登りは辛そうです。明日から海の日の連休になるので、小屋は超満員だと聞かされました。
大型のザックを背負った高校山岳部のグループが、喘ぎながら登ってきます。どこまで行くのか。今日の午後から天気は崩れる予報なので、かなり厳しい登山となるでしょう。30kgの荷を背負って縦走した若き日を思い出します。一緒に登った友の何人もが、もう会うことが出来ない世界にいます。
右手の稜線に、観光新道を歩く登山者の姿が小さく見えます。やはり、あちらの方が、眺望は良さそうだなと、ちらっと後悔もしました。観光新道という名とは裏腹に、実は1000年以上も続く越前禅定道の一部だと、ガイドブックに書かれていました。砂防新道は工事用の道路を利用した、谷筋の登山道なのです。
山腹を巻くようにつけられた登山道を下ります。高山植物がたくさん咲いています。(写真4枚目)
水場のある沢、雪渓の残る沢(写真5枚目)などを横切り、相変わらず大勢の登山者とすれ違いながら、狭い登山道を下ります。(写真6枚目)やがて見覚えのある南竜分岐です。昨日、雨の中、ここで砂防新道と分かれて右に折れて、南竜山荘を目指したので
Dsc02589_1024す。
ここから先は、昨日登ってきた道です。15分程で甚之助避難小屋に到着しました。室堂から1時間半ほどで下りましたので、疲れている割には、まあ順調なペースです。
広場のベンチで、しばらく休みました。甚之助避難小屋は、水場もトイレもあるきれいな小屋です。
ここからは、約1時間強の最後の下り、かなりの急坂もあります。中飯場(写真一番下)で小休止して、別当出会には、14時30分に到着しました。着替えたりして、時間を過ごし、15時30分の最終バスに乗り込みました。補助席を使うほどの混雑でしたが、ほとんどの乗客は、15分程の乗車で、駐車場のある市ノ瀬で降りてしまい、金沢駅までの乗車は僅か8人、そのうち4人は、米国人らしい若者たちでした。
2時間半の乗車で、午後6時、バスは観光客で賑わう金沢駅に到着しました。山行の汗を流すべく、電車で金沢駅の隣駅の東金沢駅まで行き、駅近くの日帰り温泉施設「和おんの湯」で露天風呂に浸かり、白山登山を無事終わらせることが出来ました。後は、市内に戻りゆっくり食事をして、夜行高速バスで新宿バスタに戻るだけです。

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2017年7月31日 (月)

白山へ

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(壊れたパソコンは、中古品を購入した同機種の別パソコンに、ハードディスクを移し替えることで、完全復活しました。白山の写真も無事でした。ブログ再開します)

7月15日(土)
9時40分。登山者が行き交う室堂のベンチ横にザックを置き、空身になって登る事約40分。青石や高天原を通って一等三角点のある、標高2,702mの白山山頂に到着しました。空身は楽です。僕はいつも荷物が重すぎます。
山頂標識、そして大きな石製の山名方位盤もあります。
岩の積み重なった頂上部分はかなりの広さがあり、多くの登山者が写真を撮りあったりしています。(写真上)

雲が次々と湧き、遠く北アルプスなどの眺望は望めませんでしたが、それでも上空は薄い雲の間から青空の見える好天に恵まれました。目の前には大きな山容を見せる別山、そこから延びる岐阜、福井の山々がよく見えます。
やっと白山山頂に立つことが出来た。
北、南、中央アルプス、そして八ヶ岳などから、遠くに白く輝く白山を何度眺めたことか、僕にとっては長い間、遠い山だったのです。
仕事とは、とても両立できないと、岩登りが主体だった登山を20代で止めました。再び山に戻ったのは、60歳に手が届く年になってからです。本多勝一さんの著書「五十歳から再開した山登り」に影響されたような気がします。本多さんが再開登山の最初に選んだのが東駒ケ岳(甲斐駒ケ岳)でした。僕も真似て北沢峠で幕営し、甲斐駒と仙丈岳に登りました。
その当時、「200名山登山」の最終段階に入っていた、古い山友達に誘われて、高妻山、皇海山などに登り、以後南ア縦走、栂海新道などを経て、毎年山行を重ねるようになりました。
鋸岳、白砂山、佐武流山、和名倉山、大無限山などの200名山中の難山と、昔に比べて驚くほど整備された北アの登山道とのギャップにも驚かされました。若い頃は同じ山域に入る事が多く、登頂した山の数は少なかったので、この20年間に、踏破した山の数はずいぶん多くなりました。

今年、喜寿の年を迎えた誕生日の後、再び訪れることは多分ないだろう
「さよならの山」をどこにするか迷いましたが、やはりこの山しかないだろうと選んだのが、白山でした。
日本三名山、すなわち富士山、立山そして僕がまだ登っていなかったのが白山だったのです。喜寿の記念登山にふさわしい山だと思いました。
深田久弥さんの日本百名山には、次のように書かれています。ちなみに深田さんの生地は、石川県大聖寺町です。

「私のふるさとの山は白山であった。白山は生家の二階からも、小学校の門からも、鮒釣りの川辺からも、泳ぎに行く海岸の砂丘からも、つまり私の故郷の町のどこからでも見えた、真正面に気高く美しく見えた。それは名の通り一年の半分は白い山であった。」
僕は太平洋戦争末期、東京の空襲から逃れて、祖母と幼い弟と一緒に、石川県の寺井町(現、能美市)に疎開し、2年弱を過ごしました。
覚えているのは、住んでいた古い蔵と急な階段、そして2階にまで迫る深い雪くらいなのですが、近くの丘陵に連れられて行ったとき、白い大きな山が見えたような記憶があるのです。あれは白山だったのでしょうか。

今朝、5時過ぎに宿泊した南竜山荘を出ました。あたりは霧に包まれています。(写真下1枚目)

昨日は金沢駅から北陸本線で小松駅まで行き、小松空港からの乗り合いタクシーに乗せてもらい、登山口の別当出会に11時前に到着しました。
登山バスが平日に出ていないことを知らなかった失敗は、前に書きましたが、この小松タクシーの宮森さんという運転手は、たった一人の予約客である僕を、駅に出迎え、ワゴン車で登山口まで、気持ちよく送ってくれたのです。
バスの発着所でもある休憩所で準備を整えてから、観光新道分岐を左に見て、長い吊り橋を渡り、砂防新道コースを登りました。
実によく整備された登山道が続きます。中飯場から、眼前に別当谷、甚之助谷、万才谷のすさまじい大崩壊を見ながら別当覗きを過ぎ、甚之助避難小屋に到着。
登山道のすごい暑さと、高速夜行バス利用で金沢に着いた昨日、猛暑の中を金沢市内の観光で、一日中歩きまわったのがたたり、かなりへばりました。登りのペースが掴めません。荷も重すぎました。
この頃から、雨が降り始め、小屋前で雨具を付け、南竜道分岐を経て南竜山荘には15時20分頃到着しました。約4時間の登りでした。
小屋は空いていましたが、室堂まで足を延ばせなかった予定外のツアー登山グループが入ったとかで、広い部屋の両側が二段になった片側の上段に入れられました。
それでも15人ほどのスペースに3人ですから、楽々です。
別山・市ノ瀬道のチブリ尾根を登り、縦走してきたという単独のMさんが隣になり、いろいろと山の話をしました。先週もエコーラインを登ったとかで、白山の登山者は、この山に何度も登られている方が多いようです。消灯は8時、時々、目覚めながらも、長い夜を快適に過ごしました。
朝、4時半に目覚めると、Mさんたち二人の登山者は、もういませんでした。まだ寝ている他の登山者の迷惑にならないような、静かな出立はさすがです。僕も下に寝るツアー登山グループを起こさないよう、梯子をゆっくりと降りて廊下に出ました。出発します。

Dsc02545_1024山荘を出て、天幕場への橋の手前を、別山への分岐を左にとって、展望歩道コースを登りました。案内書に眺望の良いコースだと書かれていますが、登山道は霧に包まれています。このコースは、白山の登山道情報で、残雪があり注意と書かれていましたので、登山者は少ないはずです。
割と平坦な道を50分ほど登ると、急な傾斜の雪渓が道をふさいでいます。実は、山荘を出るとき、軽アイゼンを持たないので、この雪渓から引き返して、砂防新道を登るというMさんに出会っていたのです。霧が湧いて先方が見通せません。
急峻な雪渓は、横断が難しい。Dsc02553_1024
まして、単独行での事故は起こせません。6本爪の軽アイゼンを付け、ストックの先のゴムカバーを外して慎重に渡りきりました。渡ってみれば、距離は短い小沢でしたが落ちれば、かなり下まで飛ばされます。(写真横2枚目)
渡りきった先に柳谷の標識が立っていました。この沢を指すのでしょうか。
ここから、急な登りを少し続けると、前方がぱっと開け、石の山名盤があるアルプス展望台に到着しました。(写真下3枚目)
晴れてはいますが、残念ながら眺望は悪く、山名を指さすことはできません。
ここで、山荘で用意してくれた朝食のお握りをゆっくり食べました。下から、別山から縦走し、昨夜南竜山荘で幕営したという若者が登ってきました。
今日、初めて会う登山者です。昨日、四国から徹夜で車を飛ばし、Mさんと同じ、市ノ瀬から別山のルートを登ったということです。若くなDsc02561_1024くてはできないことです。お握りを一つ食べてくれないかと差し上げると、旨いと食べてくれました。
ここから、高山植物が咲く、気持ちの良い道を登り、大倉山に続く平瀬道と合流しました。他に誰もいない静かな山、白山独り占めの気分です。(写真下4枚目)
しかし、この先の雪渓で、今回の登山での最大の失敗をしてしまいました。一瞬、霧がかかっていたこともあり、対岸の登山道を見つけられず、雪渓上の靴跡をたどり、上へと登ってしまったのです。登りながら左手にあるはずの登山道取付地点を探したのですが、見つかりません。雪渓上に幾つもの靴底跡が交錯するのは、やはり迷った人もいたのでしょう。(写真下5枚目)
後から考えれば、地図上に雪渓(谷筋)を上に登るようなルートは無く、単に横に横断すればよかったのです。後で見たGPSにも、雪渓地点を迷走台風のように動き回る奇跡がはっきり残っていました。
仕方がない、最初の地点に下ろうと思ったとき、下の方に室堂方面から下ってきた登山者が雪渓を渡ろうとしているのが見えました。なんだ、あそこだったんだとわかりました。左岸の登山道のほとんど真横に右岸の登山道を示す、倒れかけたロープ支柱があるのが見えます。判断と注意力のお粗末さに、自分に腹が立ちました。何年登山をやっているんだ、この思いは、室堂到着まで残りました。
だいぶ時間をロスしてしまいました。そこから、しばらく気持ちの良いなだらかな道を登ると、もう室堂の建物の赤い屋根が見えてきました。(写真下6枚目)
室堂到着8時15分、南竜山荘から、3時間強かかってしまいました。室堂には、700名も収容できる大きな宿泊施設、そして白山比め神社があります。
白山開山1300年と大きく書かれています。717年、越前の僧、泰澄により初登頂され開山してから、2017年、今年で1300年になるのです。信仰に守られた山の長い歴史があるのです。良い年に登れたと、神社でお札を購入して、山旅の無事を感謝しました。

Dsc02564_1024下山は、明日書きます。

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2017年7月19日 (水)

白山は、やはり美しい山でした

念願だった白山に登ってきました。
喜寿を祝われる年になってしまいましたが、さて記念の山をどこにしようかと、迷ったのです。
白山は僕にとっては、遠い山でした。
<注>
「白山」から戻り、ブログを書こうとしてしていた矢先、突然の停電があり、それが原因かパソコンが壊れてしまったのです。写真も取り込んで、カメラからは削除してしまったばかりでした。今回に限り、即削除などなぜしてしまったのだろうと悔やまれるのですが、後の祭りです。
そんなわけで、パソコンの復旧に望みをつないでいるのですが、かなりの重故障のようで、修理するより、新規購入した方が良さそうでもあり、しばらく、対策を講じて様子を見てから、ブログを書こうと思っています。
「二日目の登頂日には、好天に恵まれ、深田久弥さんが書かれているように、白山はやはり美しい山でした。」

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2017年7月11日 (火)

大きなカブトムシ発見

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7月9日(日)
ボランティアで、エコシティ志木による西原斜面林の手入れ作業に参加しました。
作業の傍ら、会員の方から昆虫や植物の事などを教えてもらえるので、僕にとっては、楽しい自然観察教室でもあるのです。
今日は、女性会員が斜面林下の側溝脇で、こんな大きなカブトムシを見つけました。(写真上)
体長10cmほどの、堂々たる姿です。西原ふれあい第三公園や、その斜面林では、普段カブトムシにはなかなか出会えないのですが、これは見事です。しばらく皆で観察して、斜面に戻してあげました。
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沢山の虫こぶがついて、花が咲いたように見える木がありました。エゴノキでしょうか。
これ、驚くことに、みんなアブラムシが入っているのです。脱出口が開いたものもありました。
木全体に、鈴なり状態なので、以前にも教えてもらっているのに、また、これ花ですかと聞いてしまいました。失敗。
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オナガを見ました。チョコチョコと動くので、写真に撮り難い鳥です。

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斜面下の道路脇には、ハンゲショウが、群生していて、遠目には白い花が咲いたように見えました。

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2017年7月10日 (月)

僕の失敗----バスが出ない!白山登山計画その2

白山登山口に行くバス便が7月15日の土曜日まで無い!
今回は最悪、キャンセルも考えたのですが、何か策は無いものか。
そうだ、山梨県の大弛峠に行くような、乗り合いタクシーを探してみようと、ネットで調べるとなんと、あったのです。
地元の小松タクシーが「白山登山エクスプレス」という登山口までの乗り合いタクシーを小松空港から毎日運行していることがわかりました。
小松空港の次にJR北陸本線小松駅でも乗降することが可能でした。
http://komatsutaxi.com/sightseeing/index.html#sno  「小松タクシー」
それなら、予備日を入れ替えて、7月15日(土)に下山すれば、帰りは登山バスが運行されています。
行きだけ、乗り合いタクシーを利用する。そのためには登山日の朝、金沢駅から小松駅まで列車に乗ればよいわけです。早速、電話を入れると、一人でも運行してくれるとのこと。これで問題解決です。
登山口の別当出会に着くのが11時とやや遅いのですが、料金が3,400円と嬉しい値段ですから、贅沢は言えません。その日のうちに、竜山荘まで入れば、白山登山は問題ありません。
こんなわけで、白山登山計画のお粗末が、一件落着です。
後は好天を望むだけです。運が良いのか、悪いのか、長期予報は日程を1日ずらしたほうが、晴れる確率が高いようです。災い転じて福となす。白山に登ってきます。

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2017年7月 9日 (日)

僕の失敗----バスが出ない!白山登山計画

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東京新聞に、エッセイストの飛島圭介さんが、山での体力の衰えの事を書かれていました。悲しいほどにまったく同感です。(記事はクリックすると拡大して読みやすくなります)
でも飛島さんは、まだ69歳、ツアー登山の年齢制限をとうに超えた僕よりはるかに若いのです。
僕は山歩きの早さを競うことなど、もう望むべくもありませんが、とくに下りでの衰えがひどいのです。
なんというか、海賊フック船長のように、足が棒になっていて、バネがないというか、車で言うならショックアブソーバーがへたった状態だと感じています。
いつまで、登れるのか、どこか故障したら、ジ・エンド。再起不能をわかっています。
それでも、最後の頑張りで、再び訪れる事は無いだろう、さよならの山巡りを続けています。
今年も、白山に行きたいな、岩稜の鹿島槍、五竜は歩いておきたい、尾瀬の燧岳には三度も登ったのに、至仏山は登っていないし、八海山も計画したいと山への思いは巡ります。
先ずはと、7月の白山を計画しました。
夏山シーズンで混むだろう7月半ば過ぎを避けて、7月12日(水)からの予定を組み、往復の高速バスの手配も済ませました。
さて、金沢から、登山口である別当出会までのバス便を調べなおして、愕然。なんとバス便が無い!
マイカー規制で、市瀬から別当出会いまではシャトル便が出る事がわかっていたので、この規制日に目を取られ、7月15日(土)までの平日は、バスが運行されていないことを見落としていたのです。白山ほどの人気の山で、山開きも終わっているのに、週末しかバス便が無いとは。
バス運行会社のホームページの分り難いことなど、細かく書くと長くなりますが、要は僕の失敗で、金沢駅からの足が無いということが判明したのです。
勿論、タクシーを使えば登山口まで行けるのですが、一人で利用するには、バスで2時間半の距離は、あまりに料金が高すぎます。
バスのチケットのキャンセル料なども頭をよぎりましたが、なにか負担も少ない解決策は無いかいろいろと調べたのです。
ありました、解決策が!
続きは明日書きます。

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