2018年1月21日 (日)

埼玉県議会で自民党、県民会議に原発再稼働を進めるよう強く要望させた団体とは

2017年12月22日(金)に埼玉県議会で「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を求める意見書」が採択されたことについて、県内外から激しい抗議の声が上がり、撤回を求める運動が埼玉県内で広がりつつあります。(年明けから「採択に抗議する市民の会」などが、署名運動を進めています)
本会議で賛成した議員は、埼玉県議会自由民主党議員52名と県民会議8名ですが、全員賛成の自民党議員の中からも、本部からの要請と聞いているし、事前の論議はほとんどなかったと、反響の大きさに戸惑いの声も聞こえるとのことです。
この意見書の提案議員は、自民党議員が10名と県民会議1名の計11人です。         
諸井真英(東第2区 羽生市)自民党 日本会議
須賀敬史(南第19区 蕨市)自民党 日本会議
立石康広(南第2区 川口市)自民党 日本会議
新井一徳(南第15区 北本市)自民党 日本会議 
神尾高善(北第4区 深谷市・美里町・寄居町)自民党 日本会議
田村琢実(南第6区 さいたま市見沼区)自民党 日本会議全国議員連盟副幹事長 
本木茂(西第4区 狭山市)自民党 日本会議
宮崎栄治郎(南第10区 さいたま市南区)自民党 日本会議
小谷野五雄(西第8区 日高市)自民党 日本会議

野本陽一(東第3区 加須市)自民党
石川忠義(東第4区 久喜市)県民会議所属

11名の議員の顔ぶれを見ても分かるとおり、10名の自民党議員のうち、9名は日本会議地方議員連盟の会員で占められています。
石川忠義議員が所属し、意見書に賛成した県民会議の所属議員8名中、わかっただけで3名は日本会議の会員であり、我が志木市選出の鈴木正人議員も日本会議埼玉本部の活動に熱心に取り組んでいます。
ただ、石川忠義議員は会派の議会運営委員として意見書提出の代表者になっただけで、実際には、会派代表の鈴木正人議員など日本会議系の議員が自民党議員の協力者として、意見書作成の補助的推進役であったと推察しています。県民会議議員団は、こういった意見書作成などの実務は苦手な議員が多いのです。
意見書を提出した自民党県議団の田村琢実政調会長は、この意見書提出は、支援団体からの要望によるものとしています。

団体名を聞かれたある自民党議員は、「それは言えない(実際には知らない)」と答え、東京新聞にも、どんな団体から、どんな要望があったのかと聞かれた田村氏が「お答えする義務はない」と回答を拒んだと報じられています。

考えるに、要望した
支援団体とは架空の存在で、そんな団体は初めから無かった。
自民党本部から通達される県議会運営の方向性や、意見書採択の可能性を問う資料に含まれていた一項に過ぎなかった原発再稼働に前向きに取り組んでほしいとの要望に飛びつき、
最近の再稼働に向ける動きの加速に同調し、原発再稼働に執心する安倍政権に覚え目出度くなりたいと考えたのでしょう。このあたり、日本会議系の議員のブログなどを読むと、その傾向と視点が読み取れます。
全国の県議会中でも、日本会議系の議員が多数を占める自民党埼玉県議団なら、全国に先駆けて数の力でこの程度の意見書、可決できるとの自信の表れでしょう。
そこには、この意見書可決の持つ意味の重さ、県民、そして全国の原発に反対する組織や人達の反発、福島原発被災者の驚きなどを、配慮する思慮深さなど微塵もかんじられません。
なぜ、原発立地県でもない埼玉県議会が唐突にこんな意見書を可決したのか、原発に反対する活動を続けている埼玉県人として残念なことです。
先の衆院選では、豊田真由子氏で埼玉が一躍脚光をあびることとなりましたが、今度は埼玉県議会ですか。
全国の県議会中、右派系議員が多い埼玉県議会なので、無い物ねだりになりますが、せめて国連で採択された、
核兵器禁止条約に対し、日本政府に条約への署名や批准を求める意見書」の可決なら、埼玉県民として誇りに思うことが出来るのですが。
すでに全国の百以上の地方議会で、意見書が可決されているのです。県議会レベルでも、岩手県が最初に可決しています。原発再稼働推進の意見書を可決した、県議会など埼玉県以外には、聞いたことがありません。

埼玉県議会の定数は93名、欠員が7名で現議員は86名です。その中で自民党は52名と6割を独占しています。
前回の埼玉県議選の投票率は、
37パーセントしかありませんでした。県民の総意が反映されている状況ではないのですが、自民党は数の力で、原発推進などというおかしな意見書を、やすやすと可決してしまいます。
自民党に対抗できる勢力をも増やしたい。それには選挙で反映させるしかないのです。選挙の投票率をせめて50パーセントくらいにしたいものです。選挙に行きましょう。

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2018年1月18日 (木)

落ち葉が問題---でも、枝を切るのにも限度が

Dsc03319_1024僕の住む志木ニュータウンは、街区名に、中央の森、東の森、南の森などとつけられているように樹木、植栽の多い団地として知られています。
その分、落葉の季節ともなれば、大量の落ち葉が舞い落ちて、清掃の人達を悩ませます。毎日、毎日落ち葉掃きとその処理に追われるのです。
もう、清掃の限界となれば、解決策は枝を切って、落ち葉の量を少なくすること。
これしかない、こう結論付けて、枝を伐採すると、こういう風景を見ることになります。
実施したのはニュータウンの一部の街区ですが、明日の我が街区の姿になるかもしれません。
伐採により、日当たりが良くなる住居からは、喜ばれているかもしれませんが、しかし、それにしても、これはやりすぎではないかと思う伐採です。大げさに言うと丸坊主。電柱のようにされた木がかわいそう。樹木のこんな姿は見たくありません。
雪がふれば、住民から雪かき隊を募るように、落ち葉の季節は落ち葉除去隊を編成する。そして落ち葉掃除機の購入も検討する。30万円ほどで、リヤカータイプの掃除機がありますから、労働力の軽減を考えれば、高い買い物ではないと思うのです。
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2018年1月15日 (月)

グアムの美しいアウトリガーカヌー

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(グアム島の夕暮れ。一艘のアウトリガーカヌーが鏡のような海面を走っていた。絵のような光景だった)(写真は全てクリックすると拡大します)

Dscn0276_1024日本カヌー連盟が、ライバル選手間の薬物混入で揺れています。カヌー競技の知名度が、前代未聞の事件で上がってしまった事は残念なことです。
カヌーで、思い出すのは、昨年いったグアム島で、美しい風景と流麗なアウトリガーカヌーを見たことです。
フロートの付いたカヌーを間近に見たのは初めてでしたが、白、青、赤、緑と鮮やかな塗装と、その美しい船体に見とれてしまいました。

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パセオ公園の美しいカヌーに見とれてしまいましたが、この場所を訪ねたのは、別の目的がありました。
旧日本軍のトーチカがまだ、残っていると案内書に書かれていたからです。地図に示された場所を探して海岸線を辿ってゆくと、草に埋もれるように崩壊しそうなコンクリートの塊がありました。
海に向かって建てられたトーチカの残骸でした。
1944年、旧日本軍のグアム守備隊の9割以上、2万人余が戦死した戦争の傷跡が、目の前に現れたのでした。観光客で賑わう島に、ひっそりと残るトーチカ跡。このトーチカにこもった兵隊は、どうなったのだろう。平和な島に遊んでも、悲しい戦争の事を忘れてはいけないと思うのでした。


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2018年1月14日 (日)

草加松原の松並木---おくのほそ道の風景地を訪ねて

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上の写真は、1962年(昭和37年)の草加松原の松並木の写真です。
松並木の中を、東京方面への車道が走り、自動車の列が続いています。江戸時代には旧日光街道沿いに千数百本の松並木が続いていたと記録されていますが、その後交通量の増加などにより一時は六十数本まで激減したそうです。
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現在の松並木の様子です。
松並木は600本以上にまで補植され、日光街道の名所、千本松原と云われた往時の面影を偲ばせてくれます。よくぞここまで復元したと、感動します。並々ならぬ努力が必要だったことでしょう。
千葉県市川市の外環道に、クロマツ並木を復活したいと活動している友人と、近いうちに会う機会があるので、その前に一度、草加松原の松並木を見ておかねばと思い出かけました。
東武スカイツリーラインの獨協大学前駅(元松原団地駅)から、約500メートルほど東に向かうと百代橋のある交差点に出ます。そこがもう旧日光街道の松並木で、旧街道沿いに南北約1.5kmの間が、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」として保存されていました。

見事な松並木の下の石畳の道を歩くと、松尾芭蕉が旅した頃の時代にタイムスリップした気持ちになりました。(写真下1枚目、百代橋から南に矢立橋方向を見る)
(写真下2枚目、百代橋は、構造は鉄骨の横断橋だが、木製の装飾がされた太鼓橋である。他に同じ作りの松原大橋、矢立橋がある)

(写真下3枚目、百代橋から北方向を見る)
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2018年1月11日 (木)

今年も「さよなら原発」

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今年も「さよなら原発志木」の集会とデモを続けます。
4年目に入った原発反対のデモ活動は、隔月の第三日曜日に行われ、今回の1月21日で、20回を迎えます。
このところ、参加者が少なくなっているのが残念ですが、私たちは、ひとたび事故が起きれば広大な地域が放射能汚染地域となり、多くの国民の命と暮らしが簡単に壊される危険な発電システムとして、原発稼働に反対し集会とデモを続けています。
 原発の無い日本への道は険しくとも、私たち一人一人が声をあげ続け、行動してゆきます。
 喜ばしいニュースとしては、原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)「原発即時ゼロ法案」の骨子を発表し、小泉元首相らと立憲民主党などの野党も連携して国会内外で脱原発に向けた法案提出の機運が高まったと、今日(1月11日)の東京新聞が一面で報じています。
国民的運動として盛り上げたいとの事ですから、私たちのデモに対する理解も得られやすくなると期待しています。

悪いニュースとしては、私たちの地元、埼玉県議会が先月(2017年12月)に原発の再稼働を強く求める意見書を自民党などの賛成多数で可決し、ことに衆議院議長や首相、経産省に送られました。
埼玉県民の一人として恥ずかしいことですが、全国的に見ても都道府県議会が「原発再稼動を強く求める意見書」を提出するなんて、僕は聞いた事がありません。
県議会議員93人(欠員)のうち、賛成したのは自民党52人、県民会議8人の計60人、我が志木市選出の鈴木正人議員も賛成に廻っています。
これに対して埼玉県民や、福島県の原発被災者からも、とんでもないことと、非難の声が高まっており、私たちも抗議の声をあげてゆきたいと思います。

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2018年1月 9日 (火)

2018年の始めに

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明けましておめでとうございます。
元旦に来客があり、我家の今年の初詣は2日になりました。
例年詣でる地元の館氷川神社は、参拝客も少なく、元旦のような長い行列は在りません。(写真上)
二年程前、なにゆえか、鬱蒼とした高木を全て伐採してしまった境内は、本殿だけがぽつんと建っていて、以前の神社らしい趣は感じられないのは寂しい限りです。本殿横のお稲荷さんが、きれいに整備されて、朱色の鳥居が鮮やかでした。僕はこのお稲荷さんに御利益を頂いたことがあり、ありがたく思い大切にしています。
社務所でいつものように破魔矢を買求め、おみくじを引いて帰路につきました。
実は家を出るとき、かみさんと、賭けをしました。今日の初詣中に着物姿の女性に会えるかというものです。
僕は、2日とはいえ正月なので、2名と。かみさんは0人でした。掛け金は35億。うそ。
結果は、かみさんの勝。着物姿はおろか、晴れ着らしい装いの方にも出会いませんでした。
本当に正月らしい風景は見られなくなりました。門松などまず見当りません。各戸のしめ飾りはというと、玄関扉に飾ってある家は、歩きながら数えてみると約半数程度。
かっては、町ゆく乗用車にもお飾りが飾ってあった事もあるのです。
正月ならではの風景が見られなくなった町ですが、ここ数年で市内から、呉服屋、履物屋、和菓子屋、布団店が殆んど姿を消しました。日本の伝統的な品々を扱う店が閉店に追い込まれて行く中で、商店街も寂しくなっています。数千戸の大団地である、新座団地の商店街も、かっての賑わいが嘘のようにさびしくなりましたし、志木ニュータウンのペアモール商店街も、店舗の閉店が相次ぎ、シャッター通りになりました。人通りが無くなった分、店舗跡に保育園が幾つか出来て、近所のおばさん曰く、「小さな子供たちがちょろちょろして、賑やかだね」チビちゃんたちでは、商店街の活性にはなりません。
全国の地方都市で見られることが、わが街でも現実に起きているのです。

Dsc03274_320我家では、ささやかながら、季節の行事は大事にして祝い、飾るようにしています。

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2017年12月21日 (木)

東京駅丸の内広場を見る

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12月7日に全面供用された、東京駅丸の内広場を見てきました。(写真上)
この写真は、丸ビル5階の展望デッキから撮ったものですが、実は中央広場の中心あたりで、何枚かの写真を撮ったのです。
駅舎に当たる光の陰影も良く、広場を歩く適度な数の歩行者、樹形の良いケヤキの列植、我ながら良い写真が撮れたと喜んでいたのです。それが、なんと帰宅後のカメラからすべて消えていたのです。中央広場から東京駅舎を狙ったものだけです。
勿論、自動保存ですから、この数枚の写真だけを撮影後の保存に失敗することはあり得ません。
このミステリー、どう考えたものか?駅舎設計者の辰野金吾先生に嫌われたか!

まあ、残念ながら写真の事は、謎のままとして、東京駅丸の内広場について。
上品な御影石貼りの歩行者通路の両側に、緑の芝生、そしてケヤキの列植と3灯式のポール照明だけの実にすっきりとした気持ちの良い広場が出来ました。中央広場を挟むように設けられた二つの交通広場の解放感と相まって、正面の壁のようなレンガ造の駅舎を引き立たせてくれます。
余計なものが無いシンプルな広場に立って、この赤煉瓦の東京駅に相対すると、よくぞこの建物を復元し残してくれたものと、関係者に感謝したい思いが湧くのです。

Dsc03254_320久々に娘と孫と待ち合わせして、丸ビル内のレストランでのランチの後、散歩がてら三菱一号館に向かうと、美術館前広場に球形を重ねた素敵なオブジェがありました。クリスマス装飾でしょう。

食後のコーヒーをと、美術館Cafe1894に着くと、ちょうど14時からのコーヒタイムになっていて、僕は初めてこの古い装飾の部屋を体験することが出来ました。
1894(明治27年)の三菱一号館竣工当時の銀行営業室を忠実に復元した空間で飲むコーヒーの味は、また格別でした。

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2017年12月17日 (日)

大高取山・桂木観音コースとゆず狩り

12月6日(水)
かみさんの低山ハイキング仲間との、越生の大高取山から桂木観音へのハイキングに誘われました。ゆず狩りとセットの毎年の恒例行事だそうです。
外秩父ハイキングのコースとして知られた、大高取山ですが、まだ登ったことがなく、ゆず狩りも体験したことがなかった僕は、喜んで参加させてもらいました。
ゆず狩りと言っても、木から実を取るのではなく、桂木観音近くのゆず園に寄り、庭で弁当を広げ、ゆずを買ってくるのんびりハイキングです。
越生町のHPによると、越生町は古くから梅の産地として有名ですが、ゆずの栽培も盛んで、収穫量、出荷量はともに関東一(栽培面積25ヘクタール、年間生産量約100トン)を誇っていると書かれています。Dsc03218_1024

ゆず農家で収穫中のゆず畑を見せてもらいました。山の斜面にゆずの木が、葉が重なり合うように植えられていて、大きなゆずが鈴なりになっていました。収穫作業中の農家の方から、頭に気をつけてくださいと注意されましたが、鋭いとげが枝にびっしりと生えているのです。
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倉庫には、ゆずが入った、コンテナボックスが積まれていました。

収穫したばかりの大きなゆず(写真下)を、知人にも配ろうと、多めに購入しました。
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さて、ハイキングは越生駅から法恩寺経由で世界無名戦士の墓へ、そこから大高取山に登り、桂木観音に下山し、越生駅まで戻る周回コースで、アップダウンはあるものの、長い急な登りは有りません。
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途中の大観山に立つ、世界無名戦士の墓の建物屋上は、眺望が良く、居合わせた町役場の方が、いろいろと説明してくれました。青空のもと、はるか彼方に東京スカイツリーも見えました。
そこから、樹林帯の登りで、ここがやや急登でしたが、登山道脇には野イチゴが群生する、杉林の気持ちの良い尾根道でした。
最後の急な登りを過ぎると、大高取分岐で、そこから越生梅林方面に向かって5分程登ると、そこが大高取山山頂でした。

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三等三角点の石柱がある頂上の一角は樹木が伐採されて、そこだけ見晴らしが良くなっています。ここまで、一時間半ほどの歩行程でした。
頂上は弁当を食べるのに、良い場所でしたが、僕たちはゆず園のある桂木観音に向けて、下山を急ぎました。
先ほどの大高取分岐に戻り、そこから桂木観音への下りです。緩やかな、明るい尾根道で、最後にやや傾斜がきついところもありましたが、30分弱で桂木観音に到着しましDsc03202_1024た。立派なお堂が立っています。お参りしてから、車道に出ると、展望広場が出来ていて、そのすぐ近くに目指すゆず園農家がありました。このあたり一帯、桂木ゆずで知られたゆず畑が、広がっています。
ゆず園農家の庭先で、弁当を広げ、ゆずも購入し、虚空蔵尊経由で越生駅に戻って、今日のハイキングを終わりました。Dsc03207_1024_3

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(大高取山山頂)


(桂木観音堂)

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2017年12月11日 (月)

勝浦松部漁港で釣り

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12月7日、8日
友人たちとの忘年会で、千葉の勝浦に行きました。僕は勝浦は初めての場所です。(上写真は、勝浦松部漁港)
例年の忘年会は、神奈川県、真鶴の「福浦漁港」の岸壁でのんびりと釣りをした後、近くの「きどぐち旅館」で忘年会というパターンで続けてきました。
ところが、その「きどぐち旅館」が今年廃業してしまったのです。漁港にも近く魚料理の旨い割烹旅館だったので、残念です。
そこで今年、友人が選んでくれたのが、勝浦の民宿「くろえむ荘」。
http://kuroemu.net/
地元で水揚げされた金目鯛と漁師料理で評判の宿とのことです。
電車で到着した勝浦駅から、先ず軽く釣ってみようと、宿近くの松部漁港にタクシーで向かいました。餌は途中の釣具店で買いました。
晴れた青空のもと、釣り半分と言っても、魚影がまったくなく、釣れるのはエサ取りのフグばかりという有様でしたが、そのぶん、アウトドアー宴会で盛り上がり、皆で今年一年を振り返り楽しく過ごしたのでした。
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岸壁で珍しいものを見ました。何やら黒い海草を干しているので、干し広げている方に聞いたところ、ホンダワラで、正月の飾り物に使うとのことでした。船で採りに行くのだが、近頃はあまり採る人も少なくなったとも話してくれました。(写真横)

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写真でもわかるように、ホンダワラには実がついています。
その実が米俵の形をしているので「穂俵(ほだわら)」の名がつき変化して「ほんだわら」になったそうです。稲穂と米俵になぞらえて豊作祈願の意が込められているそうです。

「当たりまったくなし」「水温は高いね」「一投ごとに餌の取り換えだよ」「フグもかわいそうだ」早めに竿を収めて、歩いて宿に向かいました。
宿での夕食は、まさに魚づくし。特に大きな金目鯛の煮付けは、評判通りでした。金目の旬は5,6月頃で、脂がのって特に美味しいので、来年ぜひ味わってくださいとの女将の話に、また来るかと、心が動いたのでした。(写真下)
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翌日は、勝浦漁港で釣ってみましたが、ここもまったくあたり無しで、釣りに関しては、今回の勝浦は空振りでした。魚はどこに行ってしまったのだろう。
それでも暖かい日和に恵まれ、海辺で友と楽しく遊び、飲んだ二日間でした。

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2017年12月 4日 (月)

地下鉄開通90周年、懐かしき赤坂見附駅

171027_metro_event今年(2017)12月30日、東洋初の地下鉄として、上野ー浅草間が開通してから90周年を迎えることを記念る各種のイベントが行われています。 
興味深いのは、日本での運行を終えてから、アルゼンチンのブエノスアイレスの地下鉄に譲渡され、現地で使われていた丸ノ内線の車両が、20年ぶりに里帰りしてお披露目されるとのニュースです。
車両は丸ノ内線の旧500型(写真)の4両で、内3両が登場時やブエノスアイレス時代の車両に復元されるとのことです。
 60数年前、僕は通学の為、営団地下鉄銀座線で渋谷から赤坂見附までの区間を利用していました。
当時は、運賃は均一制で確か20円、学生定期券が1ヵ月360円でした。
均一制ですから、乗車するときは、改札口で係員に切符を見せますが、下車駅では、箱の中に入れるだけでした。一駅でも、20円、渋谷から浅草まで乗っても20円でした。ちなみに当時の都電料金は13円でした。
今度里帰りした丸ノ内線500型が、赤坂見附駅に登場したときのことは良く覚えています。
丸の内線が池袋まで延長され、赤坂見附駅の同じホームの両側の線路に、銀座線の黄色い車両と、丸ノ内線の赤い車両が並んで見られるようになったのです。
均一制の料金が、終わるまでの短い期間でしたが、銀座線、丸ノ内線は20円でどこでも行けました。360円の学生定期券で、丸ノ内線にも乗れるので、嬉しくて用もないのに乗ったりしていました。
 当時の銀座線の車両は、駅に到着する直前に、室内灯が消え、代わりにドア近くの壁に付いていたバッテリー電源の非常灯が点灯しました。
一瞬車内が暗くなり、扇風機まで止まるなど、今では考えられないことが起きていたのです。たしか、丸ノ内線には、壁にガラスカバーの付いた非常灯は
あっても、銀座線のような室内灯の点滅は無く、さすが新しい車両はいいなと実感した記憶があります。
丸ノ内線500型の復元のニュースから、今は消えてしまった、赤坂見附駅付近の、立ち並ぶ黒板塀の料亭や、道路にずらりと駐車していた黒いハイヤー、そして芸者さんを乗せた人力車の風景など、懐かしい思い出がよみがえります。
 500型の、登場時の復元車両やブエノスアイレス地下鉄の内装状況など、ぜひ見たいものだと思っています。

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